沖縄の野球と米軍


沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)

 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の沖縄大会が20日、那覇市の沖縄セルラースタジアムで全国のトップを切って開幕した。開会式では、3年連続出場を目指す沖縄尚学(那覇市)を先頭に参加62校の選手が入場行進した。

 開邦(南風原(はえばる)町)の儀間敦生主将(3年)は「罪のない尊い命がたくさん奪われた沖縄戦から70年の節目の年、今、平和な環境で野球ができることを幸せに感じます」と力強く選手宣誓した。

 沖縄県代表として初めて首里高(那覇市)が甲子園の土を踏んだのは、57年前の1958年。沖縄はまだ米統治下にあったが、夏の甲子園第40回開催を記念し、沖縄を含めたすべての都道府県代表が出場できるようになった。沖縄代表は琉球列島米国民政府発行の渡航証明書を所持して参加。甲子園の土は那覇港で植物防疫法で「外国の土」と見なされ、海へと捨てられた。

 首里高の前身である沖縄県尋常中学校が明治27年(1894年)、沖縄で初めて野球をしたとされる。その9年後、初の対外試合が米水兵を相手に那覇市の干潟にある球場で行われた。

 今では沖縄にはナイトゲームができる沖縄セルラースタジアム、1万5千人を収容できるコザしんきんスタジアム(沖縄市)をはじめ、立派な球場が多い。これらのほとんどは沖縄米軍基地所在市町村の活性化を目的とした「特定防衛施設周辺整備調整交付金」など防衛予算を活用してつくられている。

 大半のプロ野球球団が沖縄でキャンプ入りしているのは、沖縄に米軍基地があるからだと言っても過言ではない。沖縄の高校球児らはプロのプレーを肌で感じることができる恵まれた環境にある。(T)