「暴力」と「言論」を峻別せずに右派の主張を暴力のように論じた朝毎


◆赤報隊事件から30年

 1987年の憲法記念日の夜、散弾銃を持った男が朝日新聞阪神支局に押し入り、小尻知博記者(当時、29歳)が銃撃され死亡した。同事件からさる5月3日で30年が経(た)った。「赤報隊」を名乗る犯行声明には「反日分子には極刑あるのみ」などとあったが、犯人は捕まらず、2003年に時効となった。


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