NHK経営委員人事案で首相を批判する毎日は05年社説を忘れたか


◆朝日も展開した愚論

 冒頭から恐縮だが、先週の本欄(5日付)で訂正がある。特定秘密保護法案について沖縄の地元紙が戦前の「暗黒社会」再来との愚論を展開していると書き、その際、「さすがに朝日はここまでは書かない」と記した。それが筆者の大間違いだった。

 朝日8日付は社会面で「秘密保護 戦前の警鐘」と、沖縄紙と同様に戦前の話を持ち出し、同法案に反対している。1941年12月に軍機保護法違反で逮捕された「レーン・宮沢事件」を取り上げ、まるで「暗黒社会」が来るかのように書いているのだ。

 これには唖然とした。先週紹介したが、戦前と今では法体系がまったく違っている。それに事件は米国との開戦時のものだ。それを現在に当てはめようとするのは、事実よりも扇情を売りにするイエロー・ジャーナリズムの類だ。朝日とて少しは理性を働かせると思ったが、それが間違いのもとだった。

 さて、今回は毎日の安倍政権批判についてだ。政府がNHK経営委員5人の国会同意人事案を提示したが、これを毎日は「限度超えた安倍カラー」(2日付社説)と批判している。作家の百田尚樹氏ら新任4人がいずれも安倍晋三首相と近い人物で、「政権の思惑が露骨な人事」と言うのだ。

 だが、それは悪いことなのか。菅義偉官房長官が言うように「信頼し、評価している方にお願いするのはある意味で当然だ」。国民から負託され責任ある政治を行おうとすれば、そうしたカラーが出てくる。いや、出すべきで、出さない方が無責任だ。

◆経緯隠す語句「発覚」

 聞き捨てならないのは、次の記述だ。「安倍首相とNHKの間で、従軍慰安婦に関する番組(2001年1月放送)をめぐって、放送前日に首相(当時は官房副長官)がNHK幹部と面会し、『公平・公正にやってください』と要請したことが05年に発覚した。NHKと政治との関係について注目された事案だった」と、安倍首相がNHKに政治介入したと言わんばかりだ。

 問題のNHK番組は、99年12月に都内で開かれた「日本軍性奴隷を裁く『女性国際戦犯法廷』」を取り上げたものだ。「法廷」は北朝鮮から拉致に関わった2人の工作員を検事役として招き(後に政府は入国拒否)、模擬法廷としながら弁護役を置かず、昭和天皇に対して「強姦と性奴隷制」の罪で有罪判決を下すという異様な人民法廷だった。

 こういう番組をNHKが流すのは、番組編集に政治的公平や真実報道などの条件を付す放送法(4条)に違反するばかりか、国民への重大な背信だ。だから、安倍首相(当時、官房副長官)が「公平・公正にやってください」と要請するのは当たり前で、問題にする方がおかしい。

 毎日が「05年に発覚」とするのは、朝日が同年1月12日付で「NHK『慰安婦』番組改変/中川昭・安倍氏『内容偏り』/前日、幹部呼び指摘」と報じたもので、書いたのは「極左記者」と呼ばれた本田雅和氏だった。

 この記事自体が問題視され、朝日は検証委員会をつくらざるを得なくなり、同年7月に検証記事を掲載した。だが、これが開き直りだったので他紙から袋叩きにされ、毎日社説も「拍子抜けするほど新事実に乏しく、国民が知りたかった点に真正面から応えていない内容…間違いだと思えば素直に改める」(同年7月26日付)と戒めている。

 それなのになぜ毎日は今回の社説で「発覚」などと、ふつう悪事が露見したときに使用する表現を使ったのか、首を傾げる。政治介入がなかったことは同番組をめぐるNHK訴訟でも確定しており(08年、最高裁判決)、安倍首相に対して非礼千万だ。

◆放送局は言論機関か

 毎日社説は今年6月に放送されたTBSの報道番組に自民党が公平さを欠くとして取材や出演を拒否したことを取り上げ、「言論には言論で応じる民主主義のルールに反した対応」と批判するが、これもデタラメ極まりない。

 公共の電波を独占して使う放送局に対して、電波を使用できない他者は反論できないから、放送局は「言論機関」とは違って前記のような条件を付しているのだ。

 毎日の社説は、それこそ「限度を超えた」安倍批判だ。もう少し客観的に物事を見るべきである。

(増 記代司)