権謀術策を弄す翁長知事、勝つため普天間問題放棄


《 沖 縄 時 評 》

保守の魂を捨て革新と組む

権謀術策を弄す翁長知事、勝つため普天間問題放棄

菅官房長官と初めて会談した翁長知事=4月5日、那覇市のホテルで

 翁長雄志知事は県知事選挙に勝つために普天間飛行場問題を放棄した。その一言に尽きる。翁長知事はなにがなんでも知事になりたかった。保守の魂を捨ててでも。翁長知事には普天間飛行場の危険性を解決する気は全然なかった。

 昨年知事選で仲井真知事が県外移設から辺野古移設容認に公約を変えたことを非難し、自分は県外移設の主張はぶれないと翁長氏は強調した。その翁長氏は普天間飛行場の閉鎖・撤去を主張している革新勢力と手を握ったのである。あり得ないことである。翁長知事と革新では普天間飛行場の解決方法に決定的な相違があるからだ。

 翁長知事=県外移設=日米安保容認

 革新勢力=閉鎖・撤去=日米安保廃棄

 手を組むのなら県外移設か閉鎖撤去のひとつに統一するべきであった。ところが翁長知事はひとつに統一することはしなかった。

 県外移設と閉鎖・撤去は辺野古移設への反対では共通している。しかし、普天間飛行場問題の解決方法では食い違っている。もし、辺野古移設を阻止できた場合は翁長知事と共産などの革新政党は対立してしまう。革新は閉鎖・撤去を主張しているだけではない。日米安保廃棄を目的にして米軍基地のすべての国外撤去を主張している。革新は国内移設である県外移設にも反対している。

 本土に移設する話が出ると革新は確実に反対する。翁長知事と敵対関係になるのだ。革新と辺野古移設反対で手を組むということは、普天間飛行場の県外移設はあきらめるということ。翁長知事は普天間問題の解決を知事選挙戦に入る前から放棄したのである。

 日米安保容認の翁長知事が政治的に相容れることができない日米安保廃棄の革新政党と手を組んだ理由は県知事選に勝利するためであった。

 翁長知事はイデオロギーは腹六分に押さえて、「沖縄アイデンティティー」で中央政府と闘おうといって相容れない県外移設と閉鎖・撤去の主張をそのままにして革新と手を組んだのである。そして、「辺野古移設反対」を選挙公約にしたのである。県外移設を支持する県民と閉鎖・撤去を支持する県民の票を結集させて、翁長知事は仲井真弘多知事に10万票もの差をつけて大勝した。見事な翁長知事の選挙戦略であった。

◆革新の公約を奪う

 那覇市議会議員、沖縄県会議員、那覇市長と、順調に出世した翁長氏が最後に目指したのが沖縄県最高の地位である県知事であった。2014年の知事選では仲井真知事は引退し、次に知事選に立候補するのは自分であると翁長知事は思っていたし、自民党県連もそのように考えていた。翁長知事が知事選に立候補するのは既定路線であった。

 知事選の前哨戦であった2012年の那覇市長選では知事選に確実に勝利するために革新つぶしをやった。オスプレイ普天間飛行場配備反対の先頭に立ったのである。そして、保守を説得して革新とのオール沖縄を結成した。米軍基地反対は革新の専売特許であり、オスプレイ反対運動も革新が中心になってやるはずだったが、なんと翁長那覇市長が先頭に立った。那覇市の市長であるのに宜野湾市の普天間飛行場のオスプレイ配備に反対するのは変であったが、翁長那覇市長はオスプレイ配備に反対し、県民大会や東京行動の先頭に立った。那覇市長というより県を代表する政治家として振る舞ったのである。

 2012年の那覇市長選で革新陣営は対立候補を立てることができなくなった。革新の売りは米軍基地反対である。那覇市長選の時はオスプレイ配備反対が選挙の目玉になるはずだった。ところがオスプレイ配備反対の先頭に翁長市長が立ったために、革新は翁長市長と対峙(たいじ)する選挙公約をつくることができなくなったのである。革新陣営は対立候補を立てることができないまま無投票になるのを避けるため、共産党が立候補者を出したが翁長市長が圧勝した。翁長市長の革新つぶしの思惑は大成功となったのだ。

 2年後の県知事選では県外移設、オスプレイ配備反対を選挙公約にして自民党県連から立候補するつもりであった。ところが、衆議院選挙で自民党が勝利して安倍政権が誕生し、辺野古移設が推進されることによって、翁長知事の選挙戦略が頓挫(とんざ)した。

 2010年の県知事選の時に選対委員長の翁長市長が辺野古移設容認にこだわる仲井真候補を説得して県外移設を選挙公約にしたのは県知事選に勝利するためであった。那覇市長選の時にオスプレイ配備反対の先頭に立ったのも那覇市長選に勝利するためであった。そして、県外移設を掲げながら閉鎖・撤去の革新と手を組んで辺野古移設反対を選挙公約にしたのも知事選挙に勝つためであった。翁長知事はすべての選挙に勝利した。

◆県外移設要求せず

 翁長知事が県外移設が不可能であることを知っていることが分かる事態が起こった。4月5日の菅義偉官房長官との会談である。翁長知事は会談の前までは県外移設を繰り返し主張していた。もしも、翁長知事が県外移設が可能と信じていたなら、菅官房長官に辺野古移設を中止し、県外移設をするように要求したはずである。ところが翁長知事は普天間飛行場問題についてこう述べた。

 「今や世界一危険になったから、普天間は危険だから大変だというような話になって、その危険性の除去のために『沖縄が負担しろ』と。『お前たち、代替案を持ってるのか』と。『日本の安全保障はどう考えているんだ』と。『沖縄県のことも考えているのか』と。こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないかと思う」

 会談では翁長知事は県外移設を一言も言わなかった。それどころか、なぜ沖縄県が代替案を出さないといけないのかと言ったのである。国は「辺野古移設が唯一の方法である」と言っているのであって辺野古の代替案を県に要求したことは一度もない。それなのに国が代替案を要求しているように翁長知事はでっちあげたのである。

 翁長知事は辺野古移設の代替案として県外移設を主張してきた。ところが代替案として県外移設を要求すべき菅官房長官に県外移設を要求しなかった。県外移設は不可能であることを翁長知事が知っていたからである。だから県外移設を要求しないで代替案を要求するのは「国の政治の堕落」と主張したのである。

◆普天間固定の責任

 県外移設は不可能であることを知りながら県外移設を主張したのが翁長知事だ。そして、県知事になるために閉鎖・撤去を主張する革新と手を握った。そもそも翁長知事は普天間問題を真剣に考えたことはなかった。普天間飛行場を移設しようが固定しようが翁長知事にとってどうでもいいことなのだ。とにもかくにも県知事になるのが翁長知事の目的であった。だから、閉鎖・撤去の革新の票を得るために革新と手を握ったのである。

 翁長知事はあらゆる方法を使って辺野古移設を阻止すると言い続け、実際にあらゆる手を使っている。もし、辺野古移設が中止になった時、翁長知事はどうなるのだろうか。最初は辺野古移設阻止成功にバンザイするだろうが、時間が経つうちに普天間飛行場の固定化がはっきりしてきて窮地に陥っていくだろう。

 菅官房長官に県外移設を要求しなかった翁長知事が、辺野古移設を中止できなかったからといって県外移設を要求することはできまい。たとえしたとしても「県外移設は困難」と政府は翁長知事の要求をつっぱねるだろう。県外移設はできず、閉鎖・撤去もできない。普天間飛行場は固定化するだけである。辺野古移設を阻止できたとしても翁長知事を待っているのは県民の不信である。

 辺野古移設を阻止できない時は、辺野古移設阻止を公約にした責任を取って翁長知事は辞職しなければならないだろう。ボーリング調査が終わり、埋め立て用の外壁が完成し、埋め立てが始まった時、翁長知事の責任が問われる。

 辺野古移設を阻止できてもできなくても翁長知事を待っているのは地獄である。県知事になりたい欲望のために普天間飛行場問題を放棄した翁長知事の当然の末路である。

(小説家・又吉 康隆)