世界の街角
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韓国・ソウル市在住
原田 一

「ジャパン本物タウン」

 ソウルの中心部にある明洞は、七〇−八〇年代には、三、四十代の街であったが、最近では十代が中心になっている。彼らは日本文化に関心を持っている。確かに最近の明洞には、日本に関連した店が多くなった。

 その中で、若者にスポットを当てて、今着々と準備を進めている一角がある。名付けて「ジャパン本物タウン」。敷地三百一坪に、総面積千五百四十五坪、地下一階から地上二階までは衣類、革製品、アクセサリー、ファンシー用品、文具類、化粧品、眼鏡、時計など、三階は日本食スナック街、四階はゲームセンター、五階は映画館、喫茶店などすべて日本のものを扱う。現在、店舗の分譲中だが、入り口では和服姿の女性が「いらっしゃいませ」と日本語で迎える。

 この事業の目的は、大量の品を正式ルートで輸入し、日本の生活必需品を廉価で販売することで、密輸などによる不必要な高級化を避け、さらに日韓の正しい文化交流を目的としている。とかく日本文化は淫乱文化という認識がぬぐいきれない中で、映画館では厳選された映画を上映するそうだ。

 東京・渋谷には、ソウルの東大門市場そのままの店ができたが、逆にソウルにも原宿のような店ができようとしているわけである。中には日本の韓国市場進出を憂慮する声もあるが、話を聞いてみたところ、韓国の企業がしっかりとした意識を持ってこの事業を進めているようだ。むしろ歓迎されるべきではないだろうか。

 韓国に長く滞在している私としては、日本まで行って買ってくる手間が省け、大いに助かる。秋ごろには正式オープンの予定なので、その「本物度」に期待しよう。


イスラエル・テルアビブ在住
野中 直

イスラエル版の“黄砂”

 イスラエルでは雨期が終わり、乾期に切り替わる季節を迎えた。この時期にテルアビブやエルサレム周辺の空が真っ白になる現象が二、三日間あった。最初はスモッグか雲かと思っていたが、どうやらそうではなく、砂漠の砂のようだ。中国には黄砂というものがあるが、そのイスラエル版だ。どうりで前の日から強風が吹き荒れていたわけだ。風が砂漠や荒地の砂を舞い上げ、砂まじりの空気になってしまった。そして、朝に少しだけ降った雨が空中の砂を地面に落としてしまった。

 このおかげで私の緑の車は見事に真っ白になった。私の車だけではなく他の車も同じだ。洗車をしに行ったが、洗車場は車が列をなしていた。この時期の車は皆、砂ぼこりをくっつけて走っている。

 またある日、窓を二時間ほど開けていたら、絵がかけるほど砂が積もった。これは、既に空気中には砂が浮遊していることを意味している。もともと国のほとんどが砂漠や荒地だから無理もないが、今年は特に激しく砂が飛んでいるようだ。

 雨期にはたびたび雨が降るので、その度に車は真っ白だ。洗車したかと思えばまた雨が降り、全くドライバー泣かせである。イスラエルの人たちもそこは心得てか、初めからあまり車を洗わない人たちも多い。イスラエルに来た当初は、なぜみな車を洗わないのか不思議だったが、今では理解できる。

 こんな状況だと流行しているオープンカフェにも行く気がしない。自分が食べている料理には、目には見えなくとも、どんどん砂が積もっていくことになる。イスラエルの人たちは一向に気にする様子はないようだが…。


ブラジル・マットグロッソドスル州在住
濱田純一

言語教育の子供への影響

 久しぶりに、経済の中心都市サンパウロに赴いた。日曜で人通りは少なかったが、リベルダージという日系人の集まった地域では、毎週日曜日にフェイラと呼ばれる青空市が開かれているので、出かけてみた。ブラジルでは、そこは日系人のメッカである。店先で大判焼きやお好み焼きなどを売っている若い日系人たちは、果たしてどこまで日本人らしいのかと、ちょっと気になった。

 純粋な日本人の両親を持てば、外見は日本人であるが、話をすると、普通のブラジル人に近いように感じることも多い。私の友人の長女も、今年からこちらの小学校に通うようになったが、友達同士ではもっぱらポルトガル語を使うので、親との会話がだんだん難しくなってきていると語る。一方で、私の親しい日系二世の方は、小学校高学年から中学を終えるまで、日本人の素晴らしい教育者との出会いがあったらしく、他の兄弟と違って「私は日本人に近いとよく言われる」と話していた。

 親の素質がそのまま子供に受け継がれるのは当然だが、それでも言語教育をおろそかにすれば、たとえ自分の子供であっても、その言語がもつ独特の社会性や考え方を知らぬ間に習得して、やがて新たな人種が生まれてきているのも事実である。それをよしとするかどうかは別としても、自分の子供だけは、自分と同じように育てたいと思いながらも、なかなか思うように行かないというケースもかなり多いのではないだろうか。海外では、家庭での言語教育に対する意識が、決定的な影響を子供の人生に与えていると最近深く思わされる。


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