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ロシア・モスクワ在住 大川佳宏
どんぐりコーヒーの味
「なになに、カシの実? ということはどんぐりではないか!」
まだソ連時代だったモスクワに留学したてのころ、店で買ったコーヒーの中身が、何か変なことに気がついた。粉が白っぽいし、香りも違う。箱の裏に書いてある原材料名を辞書で調べると、コーヒー豆は三割程度しかない。残りのほとんどは、どんぐりだった。
「ひどいなー。これではサギだ。コーヒー豆からつくるからコーヒーだろうに」。文句を言ってはみたものの、「どんぐりコーヒー」を飲むことになった。
ソ連では一部の特権階級を除いて、どんぐりのコーヒーや、青い花の咲くハーブの一種、チコリの根からつくったチコリコーヒーが飲まれていた。バナナも見かけなかったころであり、「本物」のコーヒーは、庶民の口にはなかなか入らなかった。
今のモスクワはどこの店に行っても、「本物」のコーヒーである。ソ連崩壊後、店にさまざまな商品が増え出したころは、それを見るたびに感動していたが、いつしか豊富な商品があることを、当たり前のように感じるようになった。
ところが最近、友人の家を訪ねると、あの「どんぐりコーヒー」が出てきたではないか。「いまはほとんど売っていないから、自分でつくったんだ。カフェインも入っていないし、こっちの方がずっと健康にいいんだ」。彼は今でも、どんぐりコーヒーとチコリコーヒーの愛好家だという。
久しぶりのどんぐりコーヒーは、実に懐かしい味がした。素朴で苦い。今のモスクワの子供たちは、この味を知らないだろう。それはいいことでもあるが、残念にも感じた。
韓国・京畿道九里市在住 志田康彦
韓国での“こどもの日”
五月五日は韓国でも「こどもの日」。韓国語ではこどもの日を“オリニナル”というが、この日は家族で遊園地やハイキングに出かけるのが一般的な過ごし方で、この点は韓国も日本も一緒だ。ただ、韓国では日本のようにカブトを飾ったり、こいのぼりをあげるというような風習はない。
私は渡韓当初、日本と同じように韓国でもこどもの日を祝うので、日本統治時代に日本から伝わったものだと思っていたが、その出発点は明らかに違うことを、その後知った。
日本の場合は、端午の節句としてお祝いされていた日を、一九四八年にこどもの日として制定した。さかのぼれば平安時代から伝えられてきた風習である。もともとは中国で行われていた五月の厄払いの行事が日本に伝わったもの。男の子のお祝いの日になったのは江戸時代からだ。韓国でも端午節として、中国から伝わった風習が残ってはいるが、そこには男の子を祝おうという概念はない。
一方、韓国では童話作家の方定煥(パン・ジョンファン)先生が中心となった韓国初の児童運動団体である色童会で、一九二二年五月一日にオリニナル(こどもの日)を制定した。方先生は、児童運動の先駆者でもあり、“オリニ(子供)”という独自の韓国語を創作したことでも有名。最初は五月一日に祝っていたが、戦争中に一時期中止になり、一九四六年五月五日に再び制定された。
このように韓国のこどもの日の制定には、方定煥という一人の童話作家の努力があったのだが、方先生の意思に沿って、今年のこどもの日は、子供たちに童話のプレゼントすることにした。
ドイツ・ベルリン在住 富田武史
隔離されたトルコ人社会
ベルリンは、他の世界的な大都市と同様に、外国人人口が多く、実に国際色豊かな街だ。特に、トルコ人は人口の一割以上になっており、最大の外国人勢力だ。
意外なことに、旧東ベルリンでトルコ人を見かけることはない。彼らは、満遍なくベルリンに住んでいるのではなく、一定の地域に集まって住んでいる。特に、旧西ベルリンの中でも壁付近が彼らの最大の生活舞台だ。
ドイツは、労働力不足だったころ、トルコから多くの移民を受け入れた。ベルリンの壁が存在した当時、ドイツ人は物騒な壁付近から閑静な地域に引っ越してしまった結果、トルコ人が集中しているという話を聞いたことがある。
その名残は今も感じる。トルコ人の多い地域は、何となく常に雑然としている。その地域にはドイツ人の姿をほとんど見かけない。ソーセージ屋台はなく、トルコ名物料理のドネルケバブの屋台が軒を連ねている。
飾り気がなく、人間味あふれるトルコ人には共感を感じるもので、筆者は時々、買い物に出かけることがある。その際、何か一品おまけをくれたりするのも、ドイツ人には見られない光景だ。
驚いたことには、診療所の世界でもトルコ人社会が形成されている。先日、知人が子どもの救急で、ある小児科医を訪れた時の話。患者は、トルコ人などアラブ系の人々だけ。医師はもちろんトルコ人で、受付の女性は黒いベールをかぶっていたそうだ。しかし、そこから徒歩三分の診療所にはトルコ人の姿は一切ない。
このように住み分けが進行している中で、多文化の共存・融和の難しさを痛感する。

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