世界の街角
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アルゼンチン・ブエノスアイレス在住
江頭利将

日本人移民者の第1号

 今年の九月三十日、ブエノスアイレスのあるホテルで晩餐会が開かれた。それは、日亜友好通商条約締結後正式にアルゼンチンに移民者として入国してきた佐賀県唐津市出身の榛葉贇雄(しんやよしお)氏の入国百周年を祝うアルゼンチン拓殖協同組合主催の式典だった。約三百人の内外の貴賓が集まり盛大な催しとなった。

 榛葉氏は、一九〇〇年アルゼンチンの練習艦サルミエント号が初めての世界巡回時、日本に立ち寄った際、船長に認められ、はるばるアルゼンチンまでやってきたのだった。当時彼は十六歳。本来、米国まで連れていってもらうつもりでいたが、船長の「ここまできたのだから、一度アルゼンチンを見てみないか」という誘いでアルゼンチンの地を踏むこととなった。

 その後、彼はアルゼンチンのすばらしさに魅せられて、米国行きを断念するのだが、彼がアルゼンチンで残した業績は大変なものがある。当時,全くスペイン語ができなかったにもかかわらず、働きながら学業に励み、ブエノスアイレス大学法科に進学したのである。

 また、日本とアルゼンチンの友好のために、日亜文化協会を設立し積極的に二国間の交流のために努力している。日本の新聞にアルゼンチンの事情を伝えているかと思うと、現地の日刊紙に日本の情報をスペイン語でもって紹介するなど、当時としては貴重な文化交流の先駆者であった。

 彼の残した足跡は今もなお、在亜日本人の語りぐさとなっているという。今の在亜日本人会の基盤は彼によるところが大きいのである。


南ア共和国・ヨハネスブルク在住
長野康彦

高評価で人気の日本車

 南アフリカ共和国は国土が広いので、主要都市間を結ぶ鉄道・長距離バスなどの幹線はあっても、地域にきめ細かく交通網が整備されているわけではない。また治安の点から、公共の交通機関の利用は安全とは言えず、プライベートの交通手段の方がより安心だ。そこで、車は人々の生活に欠かせない足となってくる。

 少し古い統計だが、二年前で車の登録台数は約六百五十五万台。そのうち一般乗用車は三百八十万台と、人口四千万人の比率からすると、それほど多い数ではない。

 車といえば、が然人気が高いのは日本車。故障しない、燃費がいい、部品代が安いなどの理由から、この国で最も高く評価されている。中でも一番人気の車種はトヨタカローラ。しかしカローラに限らずトヨタ車なら何でもひっぱりだこで、中古でも値段はそれほど下がらない。日産、ホンダ、三菱、マツダなど、他の日本車メーカーも健闘はしているが、やはりトヨタの前には影が薄い。

 一方、日本車に戦いを挑んでいるのがドイツ車。メルセデスベンツ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンなどこちらも負けてはいない。街中での走行はたいした違いはないが、高速の安定性は明らかに日本車とは違う。フリーウエーを突っ走るには、ドイツ車の方にまだ分があるようだ。

 最近はガソリンの値上げが続き、大排気量の高級車よりも燃費のいい小型車に人気が集中している。従って高級車を手放す人が増え、中古の価格もグンと下がっているので、車好きなら一度は夢見るベンツやBMWなど、プレステージカーを手に入れる最良の時期かもしれない。


エジプト・カイロ在住
鈴木眞吉

今ラマダンづけの生活

 今エジプトはラマダン(断食月)にとっぷりつかっている。日の出から日没まで一切の飲食を断つのだが、日没を過ぎればブレックファストを食べて元気もりもりとなる。

 市街地でも、路地にテーブルが並べられ、モスクから流れる合図を聞いて、近所の人々や貧しい人たちが集まり、一斉に食事を始める。貧しい人たちにとっては、ただで食にありつける恵みの時だ。

 地域の人たちが顔を合わせ、ともに礼拝し、親せきを呼びあい、お互いの交流が深まるいい機会になる。大都会でもお互いを知りあうコミュニケーションの良さには驚かされるのだが、モスクを中心に地域共同体が作られている上に、同じ釜の飯を食うのだから、連帯感が強まるのは当然だ。

 日ごろ礼拝を面倒に思ってモスクに足を運ばない人も断食だけはするというのだから面白い。断食をすればアッラーが過去の罪を許してくれるというので、そうするともいわれている。

 断食の目的は、空腹を通して、人間が自存者でなく神からの恵みで生かされている他存者であることを思い起こし、神に感謝するとともに、貧しい人に思いを寄せ、施しをすることだ。断食以外にコーランを読み、一日五回の礼拝を堅く守ることによって神に近づく期間ともされる。

 一年に一カ月、自分の原点を考える時を持たせる宗教は他にあるだろうかと考えると、イスラム教が生活の中に信仰をいかに根付かせる努力をしてきたかに思いが至る。カイロ市のど真ん中の空き地で、メッカに向かって礼拝を行う姿を見るにつけ、信仰の徹底さに恐れ入ってしまうのだ。


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