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2005年10月31日

日本の将来と新憲法 外交評論家 岡崎久彦氏が講演

第47回目白學藝フォーラム

 憲法九条の改正や在日米軍再編に伴う日米同盟強化など日本の安全保障体制が転換期を迎えようとしている中、元駐タイ大使で外交評論家の岡崎久彦氏が十四日、都内で開かれた第四十七回「目白學藝フォーラム」(新井寛代表理事)で「我が日本の将来について――新しい憲法を中心に」と題し講演。九条改正と日本の安全保障を考える要点として、「我が国の集団的自衛権の行使は当然の権利と認めることが先決だ」と強調した。以下は講演の要旨。

集団的自衛権行使認めよ

米国とアジアの信頼の礎に

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 私は、自民党憲法諮問委員会の委員をしているが、先日、憲法の第二次草案ができた。必ずしも私の考えと一致しない部分もあるが、全体的には良くまとまったと思う。例えば、九条について、集団的自衛権は書いていないものの、自衛軍を明記している。

 第二次憲法草案には、岡崎意見として三点が留保された。一つは、平和主義と書く必要はないということ。そもそも平和主義などというものはない。平和を愛し、平和を決意すると書けばいい。

 それと、国民主権も書く必要はない。帝国議会で新憲法を議論した時、国民主権とは何かが議論になった。この時、国民とは天皇と一般国民の両方含めて国民だという認識で一致した。それならば、敢えて国民主権と書く必要はなかったのだが、マッカーサーの指示で現行憲法に書き込まれてしまった。

 二つ目は、自衛軍の表記の問題。自衛軍は英語に訳すと問題がある。防衛庁も自衛庁ではないのに、訳すとディフェンスになる。新憲法の自衛軍をセルフ・ディフェンス・フォースと訳すと、ちょっとインチキ臭い。こんな英語はない。私は、こういう小細工はやめろと言っている。

 三つ目が、国家の安全の明記。草案では、国民の権利を制限するものに、公共の秩序と社会の秩序があるとしている。ところが、自民党の原案には「国家の安全」が入っていたのに、今回は欠落している。国家の安全と社会の秩序は、日本も批准している「国際人権宣言」にいくらでも書いている。国民の人権、権利は必ず国家の安全が前提となっているのだ。これを外すと、スパイ防止法を作れなかったり、安全保障にかかわる問題で、地方が自治権を振りかざして勝手なことを言い、支障が出る。この三つだけは留保しておいた。

 日本は、国連常任理事国入り問題でドイツ、インド、ブラジルと四カ国決議案を出した。それぞれスポンサーとなる国が付いた。例えば、ドイツにはフランス、ベルギーなどが支持国になっているし、インドはネパールが支持している。ところが、日本のスポンサーになる国はアジアに一国もない。

 アジア諸国は中国が怖くて日本を支持できないからだ。例えば、タイやインドネシアに対し、日本はどれだけ世話をしたか。それでも共同提案国になってくれない。この元はといえば全部集団的自衛権に絡んでくる。

 私は一九八八年から九二年まで駐タイ大使をしていた。八八年に中国が海洋に進出し始めたため、タイのチャチャイ首相が、中国を牽制(けんせい)しようと日タイ合同の軍事演習を公式に申し入れてきた。これに対し日本政府は何の返事もしなかった。国会で海外派兵と追及されるのが怖いからである。日本の返事は「共同“演習”はダメだが、共同“訓練”ならできる」というものだった。つまり、共同演習は集団的自衛権の行使に当たるが、共同訓練はそれに当たらないから良いというのだ。しかし、その共同訓練さえもやる気は全く無かった。

 タイという国は外交の巧みな国で、自国の安全保障上日本が当てにならないと見て、中国になびきだし、中国の言うことに耳を傾けるようになった。そして、日本の言うことを聞かなくなってきた。

 戦後、日本はタイにどれほどカネをつぎ込んだことか。経済協力、技術協力、人事交流、ありとあらゆることをしてきた。それなのに安全保障面では日本は全然当てにされていない。そのため日本はどれだけ外交上のチャンスを逃がしたことか。

 自衛権とは、国内法的にいえば正当防衛権だ。刑法で正当防衛権は、自己または他人の権利が侵害された時に行使できるとされている。つまり、両方を区別しないで書いている。自分が攻撃されたら自分を守るのは当然の話だが、家族が隣で暴行されても自分は暴行を受けていないから助けてはいけないという理屈はない。これは人類の自然権だ。

 ところが、自衛権となると、集団的自衛権という解釈の問題が出てくる。しかし、自衛権を個別的・集団的と区別する国など世界中にない。正当防衛権と同じで自然権なのであって、集団的自衛権は自衛権に附属しているものだ。

 実際、日本は集団的自衛権を持っている。日本は、国連憲章を批准し、サンフランシスコ平和条約、日米安保条約を締結している。これらの全部に「日本国は、集団的及び個別的自衛権を有する」と書いているのだ。そして、日本国憲法には「国際条約は遵守(じゅんしゅ)しなければならない」と書いてあるのだから、当然、日本は集団的自衛権を有していることになる。

 ところが、国会答弁では「集団的自衛権はあるが、それを行使することは憲法上許されない」としているのである。権利はあるが、行使はできないというのだ。こんなむちゃくちゃな話はない。権利は、当然行使できるものなのだ。これは、憲法改正以前の話だ。

 二〇〇〇年に発表されたアーミテージ報告は、日米関係を米英関係と同じようにすることが米国の大戦略だ、としている。具体的には、日本と共同で集団的自衛権を行使する関係を築くということだ。これで、日米同盟は安全になり、日本は孫子の代まで安全と繁栄を維持することができる。

 結局、日本にとって一番大事なことは、集団的自衛権の行使を認めることだと言ってもよい。

 目白學藝フォーラム 戦後の国語政策の誤りを指摘し、日本語の正常化を目指す「國語問題協議會」(会長=宇野精一・東京大学名誉教授)及び、「日本文學美術協會」(理事長=新井寛・大東文化大学教授)などが平成六年、「目白學藝院」を創設。実践部門の一つとして同フォーラムが設置され、学者、教育者、政治家、経済人らが、政治・経済・外交・教育・国防など幅広い分野について研究、討論している。岡崎氏の講演の前後にも、出席者からこれからの日本の教育、外交に関する意見が活発に発言された。


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