国内政治
国内ページ
首都圏のページ
沖縄のページ
今週の永田町
政界今昔話
共産党担当デスク
国内政治
青山昌史の目

BACKを見る
2005年5月3日

憲法改正の要点

駒澤大学副学長 竹花光範氏に聞く

 戦後六十年を迎え、憲法改正が現実味を持って語られるようになった。自民党だけでなく民主党においても改憲に向けて草案作りが進められようとしている。そこで、現憲法の全面改正を主張している竹花光範・駒澤大学副学長に、その要点を聞いた。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

国民の義務も明記を

政教分離は「相対説」で

 たけはな・みつのり 1943年生まれ。早稲田大学大学院修了。社団法人民主主義研究会(現、国際情勢研究会)研究員を経て駒澤大学法学部教授(憲法、比較憲法)。現在、同大学副学長。主な著書は、『憲法改正の法理と手続』『現代の憲法問題と改正論』『憲法学要論』『中国憲法論序説』『憲法改正論への招待』など。

 ――憲法改正の要点は?

 前文では、民主主義と平和主義の二大原理を継承しながら、世界の平和構築に積極的に寄与することを明示したい。「諸国民の公正と信義に信頼して」という現憲法の表現は受け身的すぎる。なお、従来の憲法が占領下に作られたものなので主権国の憲法として欠けるところが多々あり、全面改正によって新憲法を成立させた旨も明記したい。

 第一章では、天皇が国民統合の象徴であるとともに元首であり、外国に対して日本国を代表することを明記する。現憲法では誰が元首か明確でなく、日本の国は君主制か共和制かも学説が分かれている。この点を明確にしないと日本の「国のかたち」がはっきりしない。

 国民の権利と義務の関係では、現憲法は権利規定が多く義務規定があまりに少ない。権利と義務は相対的なもので、もう少し義務を増やす必要がある。例えば、憲法・法令の遵守(じゅんしゅ)義務や国防の義務、環境保全の義務等が考えられる。

 ――政教分離については。

 絶対分離説ではなく、相対分離説に立つべきだ。人が一方である宗教を信仰し、また一方で政治の主体として行動するのは自然だ。政治と宗教の癒着は排除すべきだが、政治と宗教が交わりを持ってはいけないということではない。

 津の地鎮祭訴訟の最高裁大法廷の多数意見も、「政治と宗教が一定の交わりを持つのは政教分離の原則に反するものではない」だった。一般人の感覚で、それが宗教を宣伝するための活動なのかを判断すべきで、例えば地鎮祭は純然たる工事の安全祈願祭である。

 どこの国でも、比較的有力な宗教と文化とは密接に結び付いているので、厳格な政教分離を貫くと、文化の破壊になってしまう。社会主義では宗教はアヘンだという考えが前提なので宗教敵視、無視の政策をとるが、自由民主主義においては宗教と親和的なのが前提だ。米国は政教分離が国是で、合衆国憲法第一条には信教の自由に関する規定があるが、大統領は就任式で聖書に手を置いて宣誓し、連邦議会や軍の学校には司祭がいて祈祷や礼拝が行われている。しかし、それらは文化であるから全く問題にならない。

 ――第二四条の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」というのは問題だ。

 正しく読めば、二人の責任で結婚するのだから、結婚の維持も二人の責任であるという含みがあるが、「のみ」という表現は誤解を生じやすい。「婚姻の自由はこれを保障する」でいいのではないか。ただ、同条が「(婚姻は)相互の協力により維持されなければならない」としている点はとてもいい。

 私は教え子の結婚式に招かれると、「新郎(新婦)は法学部の出身だから二四条を知っているよね」と確認し、二人の責任で家庭を守るように書いてあるから、これをちゃんと守るように、と話している。「成田離婚などは憲法二四条違反だ」というと皆爆笑する。

 また最近の世界の憲法は、家庭の保護を明記する傾向にある。社会の基本的な単位が家庭であり、そこを守らないと社会秩序も崩壊する。家庭の保護は犯罪の防止にもつながるので、家族条項を設ける必要がある。

乏しい現二院制の根拠

出席議員の3分の2以上で改正可能に

 ――政治制度の欠陥もある。

 現憲法の「国会は国権の最高機関」というのは、近代民主主義の三権分立の原則から見て問題だ。国会が国権の最高機関なら、内閣や裁判所よりも上となる。この点は、国会が最大の国民代表性を備えているという意味に解すればよいのだろうが、通常こうした定めは自由民主主義の憲法にはみられない。

 第四一条だけ読むと、あたかも社会主義の統治システムをとっているかのような誤解を生じかねない。社会主義憲法の場合は、三権分立をブルジョワ民主主義の原理だとして否定し、プロレタリア独裁の統治原理をとる。かつてのソ連邦最高会議は裁判官や閣僚も選任し、裁判所や閣僚会議は最高会議に責任を負っていた。中国も基本的に同じで、全国人民代表大会(全人代)が最高権力機関で、その下に人民法院(司法)、国務院(行政)が置かれている。これらは司法権、行政権を行使する機関ではなく、司法・行政を分担掌理しているにすぎない。

 また自衛隊違憲訴訟のように、通常の司法裁判所の裁判官が、国会で賛成多数により成立した法律が憲法に適合するかどうかを判断するのも、権力分立の原理から見ておかしい。日本もドイツのような憲法裁判所制度を導入すべきではないか。

 ――国会の二院制も問題だ。

 私は強硬な一院制論者ではないが、二院制を維持する積極的理由は極めて弱い。本来、二院制は階級制度を前提としていた。イギリスがその代表で、十四世紀から貴族の利益を代表する貴族院と一般庶民の利益を代表する庶民院があった。明治憲法の場合の二院制もそれに準じていた。当時は華族制度があったが、日本国憲法では禁止しているので、その根拠が失われた。

 米国型の二院制は連邦制を前提とし、上院が州の利益を代表し、下院が全国民の利益を代表している。上院議員は人口に関係なく州に二人、下院議員は州の人口に比例して配分されている。日本の場合は典型的な単一国家で、しかも国が都道府県、市町村をつくったのだから、米国型の二院制をとる理由もない。

 現憲法の原案であるGHQ(連合国軍総司令部)の草案では一院制だったが、明治憲法の下で二院制に親しんできたことや、比較的大きな国は二院制であったことから、二院制にするよう日本側が要請した。GHQも憲法の本質にかかわることではないので認め、あまりその意味が議論されないまま参議院が置かれることになった。

 しかし、参議院が衆議院と対立すると国政が混乱してしまう。予算案は衆議院の可決だけで通るが、法案の場合は、衆議院が可決して参議院が否決した場合は、衆議院で出席議員の三分の二の再可決が必要になるので、参議院が反対すると重要法案が通らないという事態が起こりかねない。現代のような急テンポな時代には、いかに迅速に案件を処理するかが重要になっている。それには一院制の方が優れており、一院制でも委員会審議や本会議の充実で十分拙速を防ぐことができる。

 二院制にするなら別々の権限を持たせ、選挙の方法も変える必要がある。例えば、第二院は都道府県代表院や元老院的な存在にするなどが考えられる。

 ――内閣制度の問題は。

 内閣に法案・憲法改正案の提出権があるのかないのか現憲法には書いてないので、「ない」という見解の研究者も多い。岸内閣の時に憲法調査会が作られたが、当時の社会党は、憲法改正案の提案権は内閣にはなく、内閣が憲法の調査をするのは違憲だとし、委員を出さなかった。しかし、内閣が提案しても国会で否決・修正はできるので、国会の権限を侵すことにはならない。各国の憲法でも、内閣に提案権を認めている場合が多い。

 ところで、議会で作られた法律を執行するのは内閣なので、責任を負えないような法律であれば拒否できるように、立法拒否権を認めるべきだろう。その他、内閣総理大臣が突如欠けた場合に誰がその職務を代行するかについても明記が必要である。

 ――焦点の第九条は。

 九条一項は、不戦条約以来の国際法の原則を確認していると読めば問題はない。二項の、戦力不保持と交戦権の否認規定は主権国家として問題なので、全面的に書き換える。少なくとも自衛軍の保持と軍の最高指揮権については明記しておきたい。

 ――憲法改正の国民投票は。

 現在のような強制国民投票制は問題だし、憲法改正に必要な総議員の三分の二の賛成は、出席議員の三分の二でいいのでは。例えば、出席議員の三分の二あれば国民投票は行わず、過半数以上で三分の二未満の場合には国民投票に掛けるとする。今の規定だと、わずかな文言の改正でも国民投票が必要だ。そこで、どうしても解釈でしのいでいこうとなる。しかし、九条で明らかなように、解釈には限度があり、それを超えると憲法がどんどん形骸化してしまう。民主主義は立憲政治が大原則なのに、それが事実上ないがしろにされることにもなる。改憲手続きの緩和は、やはり必要であろう。


この記事を友達に教える

国内政治HOME

(C)Sekai Nippo Co.Ltd(1975-) Tokyo,Japan.
voice@worldtimes.co.jp