11面 読書 2007/04/08 back

『林住期』

五木 寛之著

独りの自分に向き合う時期

 自然の中で晴耕雨読の日々を過ごす――などと期待して読むと足元をすくわれる。「林住期は人生におけるジャンプであり、離陸である」というのだから。

 古代インドでは、人生を学生(がくしょう)・家住(かじゅう)・林住(りんじゅう)・遊行(ゆぎょう)の四期に分けていた。師についてヴェーダを学び、家に住んで家族を養い、出家して林に住み、独りになって旅に出る――という。インドでは今も林の中で修行する聖者がいる。それを現代人の生き方として、著者はどう読み替えるか。

 最初の二つの時期は、試験や子育て、仕事に追われる人生。それらから解放される林住期は「自分が本当にやりたいことをする」時期だという。そして、林住期のためにこそ、前の二つの時期はあるのだと。著者はそれを五十からの二十五年間とするのだが、六十からとしても、まだまだ解放されない人が多いだろう。そういう人には「心の出家」を勧める。誰かではなく自分のために生きる決意だ。

 女性にとってはどうか。学生期は恋愛、家住期は夫婦の愛、そして林住期には恋人でも夫婦でもなく、一個の人間として向き合う、と。ブッダは二十九歳で妻と子を捨てた。残された妻のその後の記録はないが、晩年には尼僧集団に加わり、息子も弟子になっている。著者はブッダが家を捨てた時、妻も夫を捨てたと想像する。互いにより大きな魂の自由を得るためだ。その心掛けがあれば、定年後に妻に捨てられずに済む。

 五十を過ぎて休筆し、龍谷大学に学んだ著者は、初めて勉強の面白さを知ったという。林住期の一つのこつは、心から学びたいものを持つことだ。

 昨年、晩年のブッダゆかりの地をインドに訪ねた著者は、林住期から遊行期に移りつつある自らの人生を老いたブッダに重ねる。ブッダは想像以上に歩く人だった。雨期以外の九カ月はほとんど歩く日々。そこから、人間として当たり前の生き方を説いた。林住期とは人生の最後を迎える前に、たった独りの自分に向き合い、心を鍛える時期なのだろう。多田則明

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