高円宮絢子殿下 御婚約


「きっと明るいご家庭に」
チェロ講師、幼稚園から宮邸でレッスン

 幼少時からご家族で音楽に親しみ、チェロの演奏を続けられてきた絢子殿下。幼稚園時代から教えてきたチェロ講師の寺田義彦さん(60)=千葉県四街道市=は「絢子さまはいつも前向きで明るいご性格ですので、きっと明るいご家庭を作られるはず。お幸せに」と祝福した。

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高円宮家の三女絢子殿下と記念写真に納まるチェロ講師の寺田義彦さん(左)=2010年9月(寺田さん提供)

 寺田さんは絢子さまの父、故高円宮殿下が「40歳になる前にチェロを始めたい」と希望されたのがきっかけで、1993年8月から宮邸でレッスンをされるようになった。当時幼稚園児だった絢子さまは、高円宮さまの演奏を聞くうちに「私もチェロを弾きたい」と希望。5歳ごろから寺田さんのレッスンを受け始めたという。

 幼少時に習った楽器は他にもあったが、姉の承子さまと典子さんがそれぞれバイオリンとピアノを選ぶ中、絢子さまは父と同じチェロを選択。寺田さんは「宮邸の応接間にある大きな鏡にご自分の姿を写して、一生懸命練習をされていた。幼少のころからまじめな方でした」と振り返る。

 絢子さまのレッスン中には、高円宮さまが自分のチェロを抱えてそっと部屋の中に入り、一緒に演奏を楽しむこともあった。しかし、その高円宮さまは2002年11月、47歳で急逝。一般の納棺に当たる「御舟入」の前には、高円宮さまの眠るベッドの前で、寺田さんや絢子さまたちが葬送の演奏会をしたという。

 絢子さまがいずれ高円宮さまの残したチェロを弾けるようにという久子殿下の希望で、寺田さんのレッスンは絢子さまが大学生になるまで続いた。寺田さんは「高円宮さまが亡くなったとき、12歳だった絢子さまは悲しむ様子を周囲に見せず、気丈に振る舞っていた。本当に幸せになっていただきたい」と語った。