天皇、皇后両陛下 慰霊と被災地訪問重ねて


「平成」30年 国民と苦楽共に

 現行憲法の下で初めて「象徴」として即位された天皇陛下は、国民と苦楽を共にしたいとの思いから、皇后陛下と戦没者慰霊や被災地訪問を重ねられてきた。かつての激戦地で頭を深く下げ、避難所で床に膝をついて被災者に向き合われる両陛下は、平成皇室を象徴する姿と受け止められた。2019年4月30日の御退位後は、こうした公的活動から退く意向で、新天皇・皇后となられる皇太子殿下御夫妻に引き継がれる。

 ◇戦争の風化懸念

 「遺族会のために頑張ってこられましたね」。天皇陛下は18年3月、国立沖縄戦没者墓苑で白菊を供花後、沖縄戦で家族5人を亡くした県遺族連合会前会長の照屋苗子さん(82)をいたわられた。照屋さんは「沖縄、特に遺族に心を寄せてくださり、ありがとうございました」と応えた。

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天皇、皇后両陛下は国立沖縄戦没者墓苑で供花を終え、沖縄県平和祈念財団の関係者らに声を掛けられた=3月27日、沖縄県糸満市

 通算11回目の沖縄御訪問は、長年心を寄せてきた両陛下の強い希望で実現。日本最西端の与那国島にも足を運ばれた。天皇、皇后としての沖縄訪問は最後とみられ、両陛下は帰京前、那覇空港に集まった人たちに何度も名残惜しそうに手を振られた。

 両陛下は6月23日の沖縄戦終結の日、8月6日と9日の広島と長崎原爆の日、8月15日の終戦記念日を「忘れてはならない四つの日」と位置付けられる。戦後50年、60年、70年の節目に沖縄や広島、長崎、東京で戦没者を追悼し、サイパンやパラオ、フィリピンなど海外でも慰霊を行われた。

 中でも、「天皇として最重要行事の一つ」(宮内庁幹部)である8月15日の全国戦没者追悼式では、戦後70年を迎えた15年の「お言葉」から、先の大戦に対する「深い反省」に言及された。元側近は「陛下は戦争の風化を大変気にされている」と話す。

 ◇務め最後まで「粛々と」

 17年11月、両陛下は鹿児島県の離島3島を訪れ、噴火で一時全島避難した口永良部島の住民と懇談。陛下は迅速な避難で犠牲者が出なかったことに安堵(あんど)された。この鹿児島県訪問で、即位後の全都道府県2巡を果たされた。

 平成の時代、日本は幾度も大きな自然災害に見舞われ、両陛下はその都度、被災地に入られた。即位後最初の被災地訪問は1991年7月、雲仙・普賢岳噴火があった長崎県島原市だった。当時市長だった鐘ケ江管一さん(87)は、体育館の床に膝をつき住民一人一人に声を掛けられる両陛下の姿を見て、日記に「いちばん感謝感激した日。膝をつかれてひとりひとりにお言葉。日本は大丈夫。万歳。みなも感激」と書いた。

 両陛下は北海道南西沖地震(93年)、阪神大震災(95年)、新潟県中越地震(04年)、東日本大震災(11年)、熊本地震(16年)のほか、広島や茨城、福岡・大分の豪雨災害被災地も訪問。東日本大震災後には7週連続で被災地や避難所を見舞われた。その後の復興状況も視察し、被災者への思いを行動で示されてきた。

 両陛下は18年6月、全国植樹祭が開かれる福島県南相馬市を訪問。宮内庁は両陛下の御意向を踏まえ、震災被害が大きかった福島県に加え、在位中の岩手、宮城両県訪問の可能性も探る。側近は「退位の日までお体を大切にしながら両陛下としての仕事を最後まで粛々となさるのだろう」と話す。