「大殿下」に最後のお別れ


百合子殿下、斂葬の儀 車いすから立ち上がられ

 大正、昭和、平成と激動の一世紀を生き抜き、晩年は「大殿下」と親しまれた三笠宮崇仁親王殿下との別れを多くの人々が惜しんだ。豊島岡墓地(東京都文京区)で4日、厳かに営まれた「斂葬(れんそう)の儀」。車いす姿で参列した喪主の同妃百合子殿下(93)は拝礼の際、ひつぎの前で立ち上がり、長年連れ添った三笠宮さまに最後のお別れをされた。

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三笠宮殿下の「墓所の儀」に参列される喪主の同妃百合子殿下。手前は三笠宮殿下の遺骨が入った箱を運ぶ宮内庁職員=4日午後、東京都文京区の豊島岡墓地(代表撮影)

 ひつぎが納められた霊きゅう車は午前9時ごろ、車列を組んで静かに出発。皇宮警察音楽隊がショパンの葬送行進曲を奏でる中、職員に見送られて赤坂御用地(港区元赤坂)の三笠宮邸をゆっくりと後にした。皇居の大手門前では宮内庁職員らが一列に待機。午前9時20分ごろ車列が前を通り過ぎると深く一礼し、三笠宮さまを静かに見送った。

 車列は午前9時半すぎに墓地に到着。雅楽の葬送曲「竹林楽」が奏でられると、葬場は厳粛な雰囲気に包まれた。喪主代理を務める三笠宮家の彬子殿下(34)ら皇族方が見守られる中、ひつぎを乗せた霊きゅう車はゆっくりと祭壇の前へ。肩までかかる黒いベールで顔を覆われた百合子さまは、車いすで霊きゅう車の後に続き、葬場に入られた。

 ひつぎが祭壇に安置されると、午前10時すぎに葬場の儀が始まり、司祭長が三笠宮さまの生涯や功績を記した祭詞(さいし)を読み上げた。戦後、古代オリエント史の学者やフォークダンスの連盟総裁などとして各方面で活躍し、晩年も御夫妻で穏やかな日々を過ごされたという内容で、百合子さまは車いすに座って静かに耳を傾けられた。

 その後、百合子さまは天皇、皇后両陛下の使者に続いてひつぎの前へ進むと、車いすから立ち上がって玉串をささげ、拝礼された。皇太子殿下御夫妻や彬子さまら皇族方も続いて深々と頭を下げられ、三笠宮さまにお別れをされた。

 親族や各界の代表、親交のあった人々らも次々に拝礼。三笠宮さまがファンで、コンサートに出向かれるなど生前交流があったという歌手の石川さゆりさんや、キャロライン・ケネディ駐日米大使の姿も見られた。

 墓地周辺の沿道には、お別れをしようと大勢の人が列を作った。東京女子大に通っていた学生時代、教壇に立つ三笠宮さまと昼休みにフォークダンスを楽しんだという三鷹市の主婦(79)は「ダンスがプロ級にお上手なだけでなく、本当に優しくご立派な方だった。一つの時代が終わった気がする」とハンカチで涙を拭いながら話した。