監禁現場の反対派牧師


“拉致監禁”の連鎖(213)パート
「青春を返せ裁判」法廷証言から(13)

400 原告の浜田静子さんの陳述書から、マンションに拉致監禁されたその夜の父親とのやりとりを続ける。

 以前に父は、もう大人なんだから家に閉じ込めておくわけにもいかないと言っていた。私も牧師さんの中にはお金目当てに、困っている親の弱みに付け込む人がいる。だけど、そういう卑怯な人には絶対に頼まないでほしいと言っていたのに。こんなに計画的な事は牧師の指導に基づくものに違いない。

 私が牧師さんを頼んだのかと聞くとそうだと答えた。お金目当てに他人の宗教の自由を侵すような人に頼むなんてひどいじゃないかと怒ると、そんな人ではないと父が言った。その人と私とどっちを信用するんだと統一協会で習った切り口上を投げた。そこまで子供が言うと親は折れるはずなのに、私の言う事は嘘が多くて信用出来ないと言われてしまった。ここまで反対牧師に洗脳されてしまったのかと私は驚いた。

 だいぶ話したけれど家族はちっとも納得しなかった。私は話をする気持ちはあったけれどとにかく今日は帰らなければいけないといっても、駄目だと言われた。私はやりかけの仕事も気になったので連絡だけでもさせてほしいと言っても駄目だった。押し問答を繰り返したけれど家族の態度は強硬だった。家族といえどもこうまで自由を奪う権利があるのかと、怒りが込み上げた。人間扱いされていないと思った。

 その夜は悲しみと、怒りの入り交じった何とも言えない気持ちで横になった。

(中略)

○反対派牧師

 次の日の午後、反対派牧師がやって来た。そう言えば、前の晩に父が牧師さんに会ってみないかと聞くので怒りに任せていいよと言ってしまっていたのを思い出した。余り考えずに承知してしまったけれどいざとなると恐ろしい。

 しかし、どんな人が来ようとも私の気持ちは絶対に変わらない。しばらくすればあきらめて来なくなるだろう。何か月も掛かるかもしれないけれど頑張ろうと思った。

 牧師ははこぶね教会の大久保ですと丁寧に自己紹介した。牧師が持って来てくれた聖書にも、はこぶね教会の名前と住所がスタンプ

(後略)

 浜田静子さんは、その後の被告側代理人の反対尋問でも、両親や親族と会食した後、帰るつもりだったのに、無理やりマンションに連れ込まれたことや、牧師、脱会者の話を聞いて脱会したことなどを認めた。

 浜田さんは一カ月ほどでそのマンションを出たが、最初の1、2週間は部屋から出られないよう、窓やドアに鍵をかけられていたと証言している。

(「宗教の自由」取材班)