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人生に悩み他宗教に興味も


“拉致監禁”の連鎖(239)パート10
被害者の体験と目撃現場(25)
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東京・歌舞伎町にあるハローワーク。舞さんは「リハビリ」から独立するためにハローワークに通って働き口を探した

 東京・新宿区のハローワークに通った舞さんは1999(平成11)年1月から、医大受験生のために添削などをする教材会社で働き始めた。半年後には、関連会社が韓国支社を開設する計画があったため、韓国語が多少できたことから韓国に行くことになった。

 しかし、ソウルにある延世大学に語学留学している途中、支社の開設計画が頓挫した。それでも、舞さんはせっかく韓国に来たのだからと、そのまま語学留学を続けた。

 一方で、有馬牧師がいる新宿西教会には拉致監禁の解放後も約半年通った。だが、気持ちは徐々にキリスト教に魅力を感じなくなっていた。韓国に留学してからは、さらに人生について深く考えるようになり、他のさまざまな宗教に興味を持った。宗教遍歴を始めたのである。

 韓国の仏教系新興宗教のテスン真理会やカトリック教会、真如苑などの講座に顔を出し、教えを聞いたりした。

 韓国で有名な「霊魂と疎通する“生命コンサルタント”」といわれる宗教家が主宰する集まりを手伝ったこともあった。

 2001(平成13)年には日本で働くことになり、東京・西東京(旧田無)市の実家に戻った。

 帰国してから働き始めるまで時間があったため、徳之島の母親を訪ねた。憔悴している母親の姿に心が動いたが、それで拉致監禁に対する怒りは消えるわけもなく、優しく声をかける気にはなれなかった。

 この年の春から東京で働き始めると、5月には母親も東京に戻ってきた。

 だが、仕事に打ち込みはじめた頃、ファミリーレストランで本を読んでいるときに異変が起きた。

 「周りの景色が絵のように感じられ、目の前にいる人たちが現実でなくなったのか、自分が現実から離れてしまったのか分からなくなった」感覚に襲われた。強いストレスからくる離人症の症状だった。

 拉致監禁への憤りが残っていたために、心の奥深くでは両親と一緒に住むことが苦痛になっていたのだ。

 舞さんにとって日本は、いつも緊張を強いられる場所でもあった。最初の拉致監禁の際、警察官が現場まで来たのに助けてくれなかったことへのこだわりは根深く残っていた。「日本は安心して住めるところではない」という思いが消えなかったのである。

 拉致監禁という辛い思い出が残る日本よりも、韓国にいるほうが気持ちを落ち着かせて過ごせると思えた。

 そして「自分の気持ちを整理しないといけない」と考えた。休みをもらい御岳山(東京・青梅市)の宿坊にこもって、人生についての考えを巡らせたりもした。

 それでも、その後は、打ち込んでいた仕事にも集中できなくなった。「このまま家にいては、ますますおかしくなってしまう。ここを出ないといけない」と感じ、01年末に渡韓したのである。

(「宗教の自由」取材班)