世界日報 Web版

不眠と、うつ状態に悩む


“拉致監禁”の連鎖(238)パート10
被害者の体験と目撃現場(24)
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新宿西教会付近の職安通り。舞さんは心身を安定させるためにこの辺りをいつも歩いていた

 「自分が思っている価値観が崩されるので、(心が)非常に不安定な状態になります。何が正しくて、何が間違っているのかということが一切分からなくなります」

 12年5カ月もの間監禁された後藤徹さんが脱会屋やキリスト教牧師、家族らを訴えた裁判で、今年4月8日に証人に立った舞さんは、拉致監禁の被害をこのように語っている。

 2度までも拉致監禁されたショックは大きかった。解放された後の舞さんは精神状態がいつも落ち着かず、軽度のうつ状態に陥っていたと言う。

 脱会した後の人生をこうして生きよう、という希望あふれる思いにはなれず、生きる意欲を失っていた。

 食事をするにも「なぜご飯を食べないといけないのか」「なぜ自分は生活しないといけないのか」などと考え込むようになった。

 夜が怖くて寝られない日々が続いた。寝ようとすると暗闇に落ちていくような思いに駆られ、恐ろしさが消えなかった。そのため、しばらくの間は、心身を安定させるにはどうしたらいいのかを考えることに懸命になっていた。

 一方、脱会屋に操られるままに舞さんを拉致監禁した母親の方も、精神的に落ち込んでいた。

 母親が拉致監禁に手を染めるまでなったのは、「娘を協会から救い出す」という名分の裏にある「娘を自分のもとに取り戻したい」という「所有物」のような感覚で考えていたからだったと、舞さんは言う。

 だから、脱会させれば、後はそのまま自分のもとに帰ってくるのが当然のように思っていた。しかし、実際にはそうはならなかったのである。

 母娘関係はこれまでにないほど悪化し、舞さんは連絡さえしなかった。そのことに母親は大きなショックを受けた。「さらに遠くへ行ってしまった」と感じ、その思い悩みから睡眠薬を飲まないと寝られないような状態になった。そして、東京で住むのもままならなくなり、故郷である徳之島(鹿児島県)に帰ってしまった。

 拉致監禁を実行した側、された被害者側の双方がどちらも以前より辛い日々を送ることになった。拉致監禁という行為が、家族にとって決して正しい選択ではなかったことは誰の目にも明らかであろう。

 舞さんは「早く体と心の健康を取り戻したい」と考え、努めて外を出歩くなどして監禁とその後の軟禁生活で衰えた体を動かすことを日課にした。そして「(新宿西教会の)有馬牧師の庇護下にあるような一種の『リハビリ生活』から、早く独立したい」との思いを強く持った。

 「リハビリ」はもう必要ないと思わせるために、新宿西教会に移ってから数カ月後には、ハローワークに通いだした。

(「宗教の自由」取材班)