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親元や脱会屋の周辺に住まず


“拉致監禁”の連鎖(236)パート10
被害者の体験と目撃現場(22)
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舞さんが拉致監禁からの解放後に住んでいた新宿西教会が入るマンション

 脱会の意思を表明して、それが脱会屋に「完全に落ちた」(信仰を棄てた)と判断されると、ようやく四六時中監視付きだった監禁生活から解放される。

 だが、その後も舞さんの「リハビリ期間」は続き、本当の自由になれたわけではなかった。

 拉致監禁の被害者たちは「リハビリ」について「異常になった頭を元に戻すため」とか「信仰をいったん捨てたと思っても教会に対する未練があるため、それを断ち切って社会復帰するために行うもの」などと説明を聞いている。

 しかし、拉致監禁から解放された後に悩まされるのは「心の傷」だ。親兄弟や脱会屋らに無理やり拉致監禁されたこと、自身の思想信条を強制的に奪われたことで受ける心の障害は大きい。信仰を失ったことでぽっかり穴のあいてしまった心の空白もある。

 心の傷の現れ方はまさに十人十色で、医学的に認められた心的外傷後ストレス障害(PTSD)になるケースも多々あり、拉致監禁という不法かつ暴力的手法に多くの批判が集まっている理由の一つとなっている。

 被害者が拉致監禁から解放後に居住する所は、大きく二つに分けられる。宮村峻氏ら脱会屋の活動拠点周辺のアパートなどで生活するか、実家や親の近くに戻り、そこから強制棄教に何らかの形で関わった牧師がいるキリスト教会の礼拝や水茎会の会合などに通うかである。

 舞さんはそのどちらも拒否した。

 宮村氏がいる荻窪周辺に住むのを嫌ったのは、「多くの女性元信者らを取り巻きにしていいように振る舞う宮村と、その宮村に声を掛けてもらうことを競い合うようにしていた女性たちの雰囲気が異様に思えて、その輪の中に入りたくない」と感じたからだ。加えて、「宮村があからさまな拉致監禁をしておきながら、『保護、救出』などと言い換えて詭弁を用いていたこと、脱会説得中の人格攻撃が激しい」ことから、人間的に好きになれなかったことも大きかった。

 こうした宮村氏の支配を嫌う人たちは、親の近くで生活するようになることが多い。しかし、舞さんは両親との生活も拒んだ。

 その理由は「(成人している自分を)所有物のように扱い、拉致監禁までするような親とは絶対に住みたくない」というものだった。

 拉致監禁という犯罪行為がなければ、親子関係がそれほど良くなかったとしても一緒に住むべき状況になればそうしたであろう。しかし、拉致監禁されたことによる心の傷は深かった。舞さんには、仮に頭を下げて謝られたとしても許し難い気持ちが残ったのである。

 拉致監禁という暴挙のせいで、親子関係は最悪なものになっていた。

 親元、脱会屋、そのどちらにも行きたくない中、監禁中に聖書を教えるため、荻窪フラワーホームをたびたび訪れていた有馬歳弘牧師が所属していた日本基督教団・新宿西教会が入っているマンションの一室に住むことにした。

 新宿西教会には、親しくしていたキリスト教信者がいたこともあって拒絶感が少なかった。

(「宗教の自由」取材班)