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家族の監視で神経限界に


“拉致監禁”の連鎖(229)パート10
被害者の体験と目撃現場(15)
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監禁された部屋の図を描きながら当時の様子を話す山田舞さん

 連れて行かれたアパートは、今も特定できないが、全体的に最初に監禁されたマンションより少し狭く感じられた。押し込まれた部屋から他の部屋の様子などを探ると、玄関と居間を分け隔てているカーテンがすぐそこに見えるような作りだった。通常、監禁部屋からは玄関が遠く、逃げ出すには不利な間取りの所が選ばれるが、ここはそうではなかった。

 しかし、玄関ドアはチェーンなどで厳重に施錠され、部屋の窓も同様に鍵がなくては開かなかった。拉致監禁に協力する親族が出入りする時、玄関の鍵をガチャガチャ、ガチャガチャいじりながら開閉錠するが、いつも長い時間がかかっていた。舞さんには、それが監禁のためのにわか細工のため、スムーズに開閉できず手間取っているような感じがした。

 舞さんの帰国に合わせて、急遽準備されたことが、このことからも分かる。直接、玄関先の様子を見ることができたわけではないが、開閉のチェーンの音だけは舞さんの耳に今でも残っている。

 このあと監禁場所は、後藤徹氏(パートⅠで詳報)が12年5カ月もの間、監禁されていたのと同じマンションの一室に移るが、舞さんの弟の陳述書によると、どちらのマンションも水茎会が準備したものだ。マンションの家賃と諸費用は、水茎会に支払うという仕組みだった。

 そんな中、舞さんは2度目の監禁ということもあって、両親らに対する怒りが収まらなかった。ダンマリを決め込み、ほとんど口を利かなかった。「お風呂に入っていいのか」「歯ブラシはないのか」ぐらいの会話はあった。

 しかし、協会の話などは「1回目の監禁の時にあなたたちにしたじゃないか」という思いもあったし、脱会強要の意図が丸見えだったから、話そうという気にはとてもなれなかった。

 一つ屋根の下、家族4人が一日中こたつに入って顔を突き合わせていながら、誰が話を切り出すわけでなく、何の会話も交わさない。普通の生活者が見たら、とても耐えられない異様なありさまだった。

 舞さんはこたつの台に聖書を置いて、目でひたすら文字を追っていた。1カ月もかからないで、聖書を読み通した。ページをめくる時、視野の隅っこに母親が入ったりすると、実際は強く意識し合っているのに、とっさに平常心を装おうとする。

 そういう意味では、父親は鈍いというか、舞さんに執着があって、無言の干渉をしてくるわけではなかった。監視度も強くない。父親は自分の世界の中にいて読書に浸っているようで、少しほっとするところがあった。

 弟は、舞さんの様子を日記風に記録していた。そのための監視を自らに課して一歩も引かないぞ、というような視線を感じた。静かで動きが乏しく、しかし、心の中はピーンと緊張の糸が張りっぱなしの毎日が過ぎていった。

 舞さんは神経がきりきりして、いたたまれない限界状況を感じるようになった。

(「宗教の自由」取材班)