「私は愚かもののばか」と母


“拉致監禁”の連鎖(225)パート10
被害者の体験と目撃現場(11)
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舞さんの母親が使っていた聖書

 舞さんの母親は水茎会の“勉強会”に参加するようになった。

 毎週1回、土曜日に開かれた会合は、脱会した子女たちの父母が中心となって進められる。が、彼らは宮村氏の脱会強要の手法、内容の一部始終を拉致監禁の当事者として直に見、体験してきた人たちだ。

 その意を受けて、どのように会合を進めていくのかについては重々承知していた。聖書を学びながら、彼らなりの解釈で協会の教義の間違い、スキャンダルなどを新参者の頭の中に徐々に詰め込んでいくわけだ。

 舞さんの母親が勉強会で使った聖書が、今、彼女の手元にある。旧約と新約を合わせた聖書一巻は一般書店で販売されているものだ。創世記、出エジプト記…と章ごとにインデックスを貼り付け、中に母親の筆跡でいろいろと書き込みがある。懸命に聖書を学んだことが分かる。

 しかし、一目で奇異に感じるのは、その聖書の見開きや後ろのページに、誰にはばかることもなく、「私は愚かもののばか」と書いてあることだ。探していくと6箇所に同じ文言があった。

 水茎会では参加した家族に「家族の愛情がないから、息子や娘たちの心の隙間にカルトが入ってくるんだ」と叩き込む。舞さんの母親もその虜になり、自分が至らないばかりに娘が入会したと信じ込んで、こうした言葉を吐露するようになったのだろう。この後の監禁中も、舞さんに向かって「お母さんたちが悪かった」と、聖書に書き込んだ文言と同じような言葉をくり返していた。

 母親は、舞さんにすごく執着していた。「自分が悪かったんだ」と自分自身に何度も言い聞かせることで、何としても娘を取り戻すんだという執念を正当化させていたようだ。

 さらに、母親に引きずられるように、父親と弟も水茎会の勉強会に通うようになった。彼らに対しても有無を言わさず「反省」を迫ってきたので、父親は参加するのを嫌がった。勉強会に参加した人たちの前で、家庭でのそれまでの行状を、まだ足りないとばかり吐き出させ、“反省”させられ、槍玉に挙げられるからだ。

 父親は、宮村氏から何度も叱責を受けた。舞さんは後に、父親がその時のことを思い出しては、愚痴っているのを小耳にはさんでいる。一家の大黒柱としての体面がずたずたにされたという苦々しい思いが忘れられなかったのだ。

 有馬歳弘牧師(水茎会に会合の会場を貸していた日本基督教団新宿西教会の牧師)は、舞さんに「お父さんは気の毒だった」「いつも周りに(反省するように)突つかれていた」と話している。

 その場の雰囲気は、宮村氏のルーツにある全共闘のつるしあげのようなものだった。

(「宗教の自由」取材班)