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国民を代表する「公器」として 新春特別座談会


国民を代表する「公器」として

「メディア(新聞)の役割を改めて問う」

 世界日報は本日で創刊40周年を迎えた。書籍などの「紙媒体」離れや活字離れが叫ばれる中、昨年は特に「朝日新聞問題」により同社社長が引責辞任する事態に至り、社会の木鐸(ぼくたく)と言われる「新聞」の信頼性が問われた。そこで、「メディア(新聞)の役割を改めて問う」をテーマに、東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏、政治ジャーナリストの細川珠生氏、世界日報社専務兼論説主幹の黒木正博が忌憚(きたん)なく話し合った。

 国史の教科書づくりで闘う 小堀
事実は一つ 裏付けしっかり 細川
誤報への対応 及び腰の朝日 黒木

300 黒木 きょう1月1日で世界日報が創刊40周年を迎えました。皆様のご支援に感謝申し上げます。

 2014年には朝日新聞の二つの誤報問題があり、新聞の信頼性を揺るがすような事態に問題が拡大しました。そしてメディアの役割も改めて問われる状況になっています。

 40周年の節目に、小堀先生と細川先生に、メディアの問題点を総括していただき、メディアへの提言を伺いたいと思います。

 まず、新聞・メディアの現状と問題点からお伺いします。朝日新聞の誤報についてお二人のご感想は。

 小堀 創刊40周年おめでとうございます。朝日新聞がああいう事態になり騒ぎになりましたが、朝日の体質というのは前からはっきり見えていたので、いつかはこうなるだろうという予想はありました。

 その大きな理由の一つは、昭和59年から60年にかけての教科書検定問題であり、その前に誤報問題がありました。

 その時、私どもは日本会議の前身である「日本を守る国民会議」で同志の方と共同して、「新編日本史」という国史の教科書を作りました。しかし、その教科書が検定を通過した後、朝日が「何で今頃、こんな教科書を作るんだ」という言い方で、猛烈に「新編日本史」叩きを始めました。

 私は編集者の代表の一人でしたから、当然、そういう朝日の偏向と歪曲(わいきょく)だらけの報道と闘わなければならない立場でした。

 その時に世界日報から何回も紙面を提供していただいて、支援をしていただきました。私の朝日に対する反論はほとんど世界日報に載せていただき、非常に心強く、大きな励みになりました。

 ただ、朝日の体質は朝日新聞のみならず、やはりあの時代一般の一つの風潮だったとも言えます。

 戦勝国が歴史観を支配し、その歴史観を全世界に押し付けているという大きな流れの中で、特に日本を代表して朝日新聞が勝利者の傲慢(ごうまん)を代弁している印象は非常に強くありました。

 ですから、朝日新聞とNHKに代表される「東京裁判史観」、私はこの頃、「国連憲章史観」という表現を使っておりますが、この闘いは長く続くぞと思っていたのです。もしかしたら、半世紀ぐらい続くのではと思っていたら、むしろ早くも約30年でどうやら転換の兆しが現れてきています。これが今後、どう展開していくか。場合によっては、大きな潮流を変えるきっかけになるかもしれないと、今のところ、情勢を見守っている状況です。

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「メディア(新聞)の役割を改めて問う」をテーマにした新春特別座談会に出席の(右から)政治ジャーナリストの細川珠生氏、東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏、世界日報社専務兼説主幹の黒正博

 細川 創刊40周年おめでとうございます。

 私が初めて新聞記事を書かせていただいたのが、世界日報でした。その時は高校生でしたが、フィンランドに行って感じたことを書きました。

 フィンランドは日本を非常に高く評価をしていて、私は北欧の遠い国が日本に親しみを持っていることに衝撃を受け、そのことを世界日報に書かせていただきました。それが新聞のデビューです。

 朝日新聞の問題で改めて思うのは、やはり事実というものは一つしかないわけで、相当いろいろなことを調べて、裏付けをしてから書くというのが報道の基本中の基本だと思います。

 小堀先生は意外に早くというご感想をお持ちだったようですけれども、慰安婦問題の誤報が32年間も続いてきたということに一番驚いています。

 慰安婦問題で間違った認識の中で育ってきた人たちが親となって子供を育てているというのは、国としても危険なことで、そのきっかけをつくったのが、朝日の報道だと思います。

 教科書検定問題が起きた時に私は高校生でしたが、父に「学校でどんな教科書を使っているのか見せなさい」と言われました。父が正しい事実を家の中で話してくれたことで、間違った認識を持たずに育つことができましたが、報道の姿勢、やり方に大きな疑問を持ちます。一方で個々の家庭がしっかりとした意識を持つことも重要だと思います。

 私の父は毎日新聞でしたが、大叔父の(細川)隆元は朝日新聞の出身でしたので、朝日新聞はそんなに変なところではないと思っていたのですが、2014年の一連の経緯を見ますと、相当、不思議な報道機関だと率直に感じます。

 小堀 細川さんは慰安婦虚報問題で衝撃を受けられ、ここまで来るのに30年もかかったとの感慨を持たれているのは尤(もっと)もです。

 私は1961年にドイツに留学したのですが、その年にベルリンの壁ができました。いつこの壁が崩れるのか、概して悲観的な意見が多く、半永久的に続くだろう、少なくとも50年は続くだろうという観測も出ていました。

 ところが、28年余りで壁は崩れました。一つの大きな変化が来る節目というのは、だいたい30年おきくらいで、朝日の誤報告白までに32年、というのも来るべき時に来たという感じがします。

 ただ、慰安婦問題は、一般の認識に全くなかったことが突如として生じてきた捏造(ねつぞう)事件です。南京事件と同じです。南京での大虐殺とは、私にはまったくあり得ないことと思えたのですが、昭和21年東京裁判の途中で突如として出てきた。慰安婦問題も同じような感じで、突然、降って湧いてきた印象です。

 初めにそれを作ったのは政治的目的を持つ人間の謀略でしょうけれども、この世に無かったものを有らしめているのは、実際には新聞をはじめとする報道機関ではないかという認識を持ちました。

 私は殆どテレビを見ないものですから、新聞が報道の代表だと思っています。そして、その責任の大きさをつくづく感じています。

 黒木 「吉田証言」の誤報で、朝日問題はどの記事を取り消したのかについては全て公表しませんでした。そこで世界日報で朝日新聞が取り消した16本の記事を独自に調べ、公表したわけです。

 新聞にも間違いはあります。ただ、問題はその後の対応ですね。記事を取り消したと言いながら、その全貌を明らかにしないなどその姿勢は問題です。ましてや「吉田証言」は国際的に対日誤解の主因となってきただけに、単なる誤報で済まされる問題ではなくなっています。

 拓殖大学の藤岡信勝客員教授は、この朝日の対応を「自動車メーカーが販売した三つの車種のエンジン系統に欠陥が見つかった、と発表しつつ三つの車種を明らかにしない、というのと同じで、許されない」と言っています。間違いがあったことへの対応の仕方は批判されてしかるべきです。

 新聞は「情報公開」と強く求めますが、自らの情報公開には全く及び腰で、そうした態度が今回の朝日の問題に端的に表れています。

国のためにある記者活動

新聞の権威は「全体」のため 小堀
すべての基礎は国語にあり 細川
言論の自由で平和に貢献を 黒木

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 こぼり・けいいちろう 昭和8年東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒。旧西独フランクフルト大学留学。東京大学大学院博士課較文学、日本思想史。著書に『宰相鈴木貫太郎』(昭和57年大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『日本に於ける理性の傳統』、『森鷗外』、『歴史修正主義からの挑戦』ほか。

 黒木 そこで小堀先生は著書『歴史修正主義からの挑戦』の中で、戦後の伝統的な文物や慣例の全てに対して悪意と敵意を抱くべく仕付けられた勢力を「敗戦利得者」と表現されていますね。そうした問題を生むマスコミが抱える構造的な問題点をどう見ていますか。

 小堀 まずマスコミの問題ですが、朝日はいわゆる確信犯だと思います。

 私の持論でありますが、朝日新聞は占領期にいろいろな利権を獲得したのですね。最初、朝日は占領政策の犠牲者として皆から見られていました。昭和20年9月15日に鳩山一郎の「戦争犯罪と言えば、まず原子爆弾の事じゃないか」という趣旨の内容を持つ談話を掲載したため、GHQから2日間の発行停止処分を受けて懲りたのです。

 その時を境に朝日の性格は正反対の方向に変わってしまって、占領政策にすり寄る一方になりました。占領軍に迎合してその代弁者となり、意図的に反日の姿勢をとり始めます。

 昭和27年4月28日に日本国は主権を回復しましたが、その時に朝日新聞はいまさら態度を変えようという気がなくなっていました。

 占領が終わった途端にまた方針を変えたりすれば、信用を失いますから。それに占領期間の7年近くの間に形成されてしまった社是はもはや変わりようがなくなって、この姿勢で朝日新聞という媒体を動かしていくほかないという体質になりました。

 ですから、記事の事実上の誤りを指摘されたくらいで態度を改めることはまずないでしょう。

 そして、取り消し記事の特定は世界日報のお手柄だったと思いますが、とにかく問題のすり替えなど手練手管を尽くして、自分の失敗、虚報の罪を隠そうとするのですね。

 その時に、それではだめだと具体的に指摘する新聞があることは、非常に大事なことだと思います。

 細川 そうですね。今回の朝日の謝罪と記事取り消しに至ったのも、そうではないと言い続けてきた人たちがいたからこそ、できたことです。30年かかったけど、評価すべき点だと思っております。

 父は新聞社に入社してすぐに徴兵で陸軍に行きましたが、戦争で見てきたさまざまなことを自分なりに伝えなければならないということと、犠牲になったたくさんの命というものが、常にジャーナリズム活動の中心にあったと思います。

 よく言っていたのは「権力というのはきちんと監視をしていないといけない。そうしなければ犠牲になるたくさんの命がある」ということでした。そうしたものが真髄にある中での記者生活、評論家生活でした。やはり、なぜこの仕事をしているのかを考えれば「自分の生まれた国がいい国でいてほしい」という思いがあると思います。すべては自分の国のために、この活動があるんだということを今の新聞社に属する若い記者たちがどれくらい感じているのかをすごく心配しているところです。

 小堀 国という権力機構への批評者という新聞本来の役割は社会にとって重要なことです。新聞の批評は、権力の濫用を監視するという役割があります。

 ところが問題は、その新聞自体が権力機構になってしまっていることです。朝日が特にそうです。世論を形成する力を持っているのはやはり新聞で、よく第四の政治権力と言われますが、そうすると、それを批判するのもまた新聞自身の役割になります。結局、問題は言論の自由がしっかり確保されなければならないということです。

 ところが、権力機構というのは、とかく批判的言論を圧迫したがり、自分に都合の悪い言論は封じようとします。それが政治的な権力機構ですと、強権による言論封殺の不当性は誰の目にも明らかに見えるでしょう。

 しかし、言論に対する圧迫を加えるのもまた言論で、なおかつ巧妙にやると人にその不当性が見えないのですね。見えない力で言論の自由を圧迫する。朝日がこれまでやってきた虚報の類には、その弊害が強くあります。実は私も個人的な被害を受けたことがあります。

 言論機関が自由の濫用をもって自由を圧迫するというからくりも生じ得ます。新聞の責任は重大です。

 黒木 「言論の自由」を主張するそのこと自体がいわば目的化してしまい、言論を通じてどう国家・国民のため、世界平和のために貢献していくかという姿勢が希薄になっていますね。

 小堀 それは細川さんがおっしゃったように、やはり新聞がそれ自体に権威を持つとしたら、その権威は全体のために使われなければなりません。一部の党派のためにそれを使うということがあっては、それは国家的損失になります。

 黒木 細川先生は、政治、教育がご専門ですが、その中でメディアの在り方や役割、あるべき姿というのをどのように感じていらっしゃいますか。

 細川 学校でも新聞を活用した授業をするようにということが推奨されるようになりましたけれども、どの新聞を使うかが非常に重要です。

 そういう点でも朝日は非常に上手で、いろいろと授業を補助するパネルの貸し出しなどしているので、すごく不安です。やはり学校教育現場では、いろいろな新聞を読み比べる力を付けてほしいと思います。

 道徳すらきちんと授業が行われない中で、新聞の活用の仕方は先生にとっては難しいことかもしれません。しかし小さなことでもいいから、新聞に触れるきっかけを与えてほしいと思います。

 興味のある内容の記事を親が子供に少しずつでも与えていくだけで、新聞を身近に感じます。そうした習慣が小さいころからあると、ずいぶんと新聞の価値が上がると思います。

 小堀 学校で実際に新聞を教材に使うとなると、皆が同じ新聞を使用しなければなりません。しかし新聞を家から持ってこいと言われれば皆がどの新聞を持ってくるか分かりません。そこで、学校でどの新聞を選ぶかとなると、つい朝日新聞になる。朝日では偏るから何か別の新聞も複数取るようにしたくても、それだけの余裕は学校にはありません。

 私は、子供のうちは新聞などを学校の教材にするのは避けた方がいいと思います。教育にはなるべく時局的な問題を持ち込まないほうがいいのです。教育はまず基礎からやる必要があります。基礎からというのはどういうことかと申しますと、歴史を学ばせることなんですね。

 歴史を学ばせるというと難しく聞こえるかもしれませんが、道徳教育にかけて申し上げますと、いま道徳の授業がようやく教科化されるということで、保守の側にもそれは結構だという方が多くいます。ここまで来ているので、教科化を進めてくださって結構ですが、私に言わせれば道徳の教科化は実際には必要ないのです。

 ではどうやって道徳教育をするのかというと、戦前は国語教育が実は歴史の話を通じての道徳教育だったのです。道徳教育というと多くは修身を思い浮かべて、また修身科の復活かと言う人も多いですが、少なくとも私個人の記憶の中では、修身で習ったことと国語で習ったこととの区別がつきません。

 問題はいかなる教材を与えるかであって、道徳教育は国語の教科の範囲内で十分だということを私はずっと主張しています。

 ただ、道徳の教科化がすでに動き始めた以上、それに反対はしません。

 細川 すべての基礎は国語にあるというのは、算数を解くにも理科を解くにも、まず問題の意味を読み取れないと解けないということもあるので、国語も小学校段階で強化をされるようになりましたけれども、まだまだだなと私も感じています。

 小堀 国語の力がある子は理科でも社会科でも、どんな教科でも自分の国語力をもって読み解いていってしまいます。藤原正彦さんが「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数」とおっしゃっていましたが、それは本当だと思います。

 細川 子供たちの活字離れが進んでいます。私も生まれた時からテレビがありましたが、父に「本を読みなさい。本を読んで感想なり、何か文章を書きなさい」とよく言われました。しかし、今の子供たちは電脳状態にあるので、いろんな意味で意識的にやらないと、なかなか活字に触れるチャンスがありません。ニュースもネットでぱらぱら見る状態です。

 しかしネットでの情報というのは、時間がちょっとできたから見るということで、そこからしっかりと何かを知ろうという意識ではないんですよね。

 やはり紙媒体を見ないと、なかなか頭に残りません。ただ、それをする人が本当に減ってきています。新聞でも本でも、きちんとした紙媒体の活字に触れることを今より増やさないとだめだと思います。

 小堀 そうですね。子供に情報収集能力をつけてやろう、という発想は大事なことだと思います。その情報収集の手段、媒体は日本語、国語が一番いいのです。特に漢字の持つ情報量に注目すべきです。石井勲先生の石井式漢字教育法では、子供の頭脳が柔軟な幼い時ほど、複雑な漢字を覚えやすいということです。

新聞は報道の代表、責任大

読者の思考を形成する役割を 細川
謙虚さ持って「事実」の報道を 小堀
道徳・倫理の必要を積極的に 黒木

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ほそかわ・たまお 東京都生まれ。聖心女子大学外国語外国文学科卒。東京都品川区で教育委員を8年間務めた。20代からフリーランスのジャーナリストとして政治家や地方自治を積極的に取材。『未来を託す男たち~次世代リーダー10人の主張』など著書多数。1995年からRFラジオ日本のパーソナリティを務め、現在「細川珠生のモーニングトーク」として昨年10月11日に放送1000回を迎えた。日本舞踊岩井流師範の資格を持つ。

 黒木 道徳教育の話が出ましたが、それに関してはメディアの責任も重いと思います。ただメディア、特に新聞はそうですが、「愛国心」への反応一つをとってみても、道徳、倫理に対しては非常にナーバスな扱いをしますね。とくに道徳、倫理が与党・政府側から出たというだけで極めて否定的な反応をしてしまう。そうではなくて、やはり子供の情操教育にとって何が必要か、教科書の在り方など学校教育に道徳・倫理をどう位置づけるか、もっと自信を持って積極的にメディアもその必要性を問題提起していいと思います。

 細川 先ほど先生があまり時局的なことを教育現場では教えずに歴史を教えた方がいい、とおっしゃいましたが、私は子供と一緒にテレビでニュースを見ていて、「どう思う?」と聞くことにしています。その積み重ねが道徳的な感覚に繋がっていくのかなとも思っています。それと今はインターネットの速報ですぐにニュースを入手できるのはいいですが、そこから一歩踏み込んで深いものを知るためには、やはり新聞の役割は重要です。いろいろな識者の考えを載せていて、それをヒントにしながら自分の思考を形成する、そういう役割を担ってほしいです。

 小堀 私は「テレビも立派に道徳教育に使える」と考えます。どういうことかと申しますと、とにかく今のテレビはまことに美しい映像を出すことができますね。私はテレビを以て一種の視聴覚教育の具と言ってよろしいと思います。テレビを見ながら、何が美しいかを教える。この景色、この建物、この言葉がきれいだね、ということを家庭で子供に教えていくことができれば、それがすでに道徳教育なのです。

 細川 やはり何を見せるかというのを、きちんと選ばなくてはなりませんね。

 黒木 メディア一般に対して提言や注文はありますか。

 小堀 事実の報道ということに関する限りは、やはり正確性でしょう。それにどのようなコメントをするかは、それこそ扱う人の自由です。ただ、事実だけは正確に伝えなくてはならない。

 とかく報道機関は、あったことを報道する場合に、無謬性についての自信みたいなものがちらつきます。あれは、かなり重大な問題だと思います。

 報道から情報を受け取ろうとする人は、とにかく正確なことを知りたいと思いますよね。その時に、報道姿勢が非常に強く影響します。報道者の姿勢によって、「これは間違いないんだな」ということを読者は思い込まされるわけです。

 その点でも、私はまず事実の客観的正確性が大切で、そして本当のことを知り得るのかどうかということについて、一種の謙虚さがないといけないと思います。

 細川 特にテレビで強く感じるのは、情報番組など2時間とか長い単位で番組を構成するために、とにかくいろいろなネタを入れなくてはならない。しかもそれを毎日やるので、非常に荒っぽい取材と確認作業になっています。テレビは考えられないくらい誤報が多いと私は思います。その放送内ですぐに訂正できればいいのですが、翌日になってしまうと、前の日に番組を見ていた人が次の日も見ているとは限らないので、訂正してもそのまま事実と思い込んでいる人もたくさんいます。その意味では、本当にきちんとした取材力をテレビ、新聞に身につけてもらいたいです。

 私のようなフリーの人間はいろいろな記者会見に入れなかったのですが、民主党政権になって一つだけ良かったのは、フリーにも会見を開放して、省庁にも官邸にも登録制で入れるようになったことです。

 しかしそこに行ってみて驚いたのは、今の記者たちは会見中にパソコンを打っているんですね。やはり総理の表情とか、言葉に詰まった瞬間とか、そういうことを総合的に伝えることも必要です。ただ一字一句言ったことを、そのままメールで送ってすぐに記事にするだけは少し不足していると思いますね。

 小堀 報道する側が自分は何でも知っているという思い上がりは怖いですが、一方受取る側が何でも知ろうとする姿勢にも、問題があります。この世には、そこは触れないでおくべきだという機微があるものです。

 特定秘密保護法にも関わってきますが、それは今表沙汰にしない方がいい、その部署に当たる専門家だけが知っていればいいということがあります。

 そのけじめをつけるのも報道人の責任だと思います。特に外交問題に関しては、なるほどそういう事実があるかもしれないけれども、それは今表に出さないでおく方がいいのだという微妙な事項は多くあります。知る権利を振りかざして、とにかく何でも知りたいというのが、とかくマスコミの、褒めて言えば勇気ですが、そうではない場合もあるということです。

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世界日報社専務兼論説主幹 黒木正博

 黒木 先ほど、細川先生の話にあった記者会見のことですが、世界日報の記者も、主要省庁や与党・野党含めて幹部の記者会見に出ています。しかし、多くのメディアはその時の政局の断片的なやりとりに終始しているように見受けられます。出先の記者がニュースとなる個々の情報を仕入れてデスクに報告し、それがトータルな記事になるというシステムのせいもありますが、記者はメディアという社会の公器という立場で出ているわけですから、断片的な情報だけでなく大局的な質問や国益にかかわるポイントについても当局者の考え方を引き出すべきですね。

 これは質問する側だけでなく、答える側の省庁の官僚、党幹部も真剣勝負で包括的な考え方を披歴していくという姿勢でなければ成長しません。米国が衰えたりとはいえ、世界全般に関与しているからこそ会見でも当局者はグローバルな発想に立って物事を考える。その点で政府や各党、省庁、とくに外務省、官房長官は会見の場を通してもっと積極的に臨んでほしいですね。

 小堀 普通の人が知るべきではないことがあると申しましたけれども、それだけでは誤解を招くと思いますので、違うことも申し上げます。

 政府は隠しておきたいが、国民には知らせるべきだということがありますよね。例えば、尖閣問題で衝突してきた中国の工作船、あれは漁船ではなくて工作船だと思っていますが、あの事件の映像をどうして政府は隠したのでしょうか。あれを公にすれば、尖閣問題がどういう問題であるか、国民はすぐによく分かったはずです。

 古い話になりますが、昭和16年の開戦前夜、半年来の日米交渉は、実は米国に手玉に取られていたようなもので、ハル・ノートという最終通牒を突き付けられたでしょう。これは事実上の宣戦布告ですね。

 その時の東郷茂徳外相は「自分は目もくらむような失望に襲われた」ということを手記で書いていながら、ハル・ノートの内容を一切公表しませんでした。

 あの時に非常に敏腕な新聞記者がいて、ハル・ノートという、こんな問題のあるものを突き付けられたと日本国民に訴えていれば、それは世界に伝わります。世界が知れば「ああ、あれだけのことをされれば、日本が立ち上がるのも無理はないな」という世界の世論をよび起せたはずです。それを当時の当局者は、こういう屈辱的な要求を突き付けられたということをひた隠しにしました。

 尖閣諸島の問題の時も、海上保安庁の非常に勇気ある保安官が暴露して、「こういうことが起こったのだ」ということを秘かに世に伝えたわけです。

 細川 民主党政権がなぜ隠したのかは、今でも分かるような分からないような感じですが、ハル・ノートは日本の当時の記者たちが、日本国内で当局から聞くチャンスはあったのでしょうか。

 小堀 国内ではまずなかったでしょう。その当時、海外の放送などを克明に聴取するだけの勉強家の新聞記者がいれば、それはできたかもしれません。

 黒木 それこそがメディアの役割ですね。それでは締めくくりとして、世界日報に対して激励、注文がありましたらお願いします。

 細川 やはり独自色を持ってやっていただきたいと思っています。世界日報はいろいろな識者の方のご意見を伺う紙面が多くありますから、それを積み重ねていっていただきたいです。他の新聞にはない世界日報ならではの特徴を持ち続けていき、ぜひ50周年を目指して頑張っていただきたいと思います。

 小堀 世界日報は考古学や美術史の部分が非常に充実していて水準が高いと思います。神話の地理を訪ねて、今のところは三輪山の大物主のあたり、崇神天皇のあたりをずっとたどっておられますけど、あれは非常に有益な記事だと思います。特に考古学的記事、遺蹟の新たな発掘があった時の御社のコメントは、私は非常に高く買っておりますので、ぜひその方面を充実させていっていただきたいと思います。

 家庭内の教育問題でも、標語みたいなものを掲げることを一切せずに家庭教育の奨励は、いくらでもできます。お題目を抱えて主張するのではなくて、家族団欒の情景を描く楽しい新聞記事を作っていただき、そういう形で日本の家族共同体の復興という大問題に取り組んでいただきたいと思います。

 黒木 言論というのは自由である一方、責任を伴うものであります。それから道徳という話がありましたが、良いものは良い、悪いものは悪いと、そういうはっきりした価値観を持って自らを奮い立たせていかなければと感じております。

 本日は本当にありがとうございました。