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「言葉狩り」への抵抗


 昨年秋、東京都内にある私立の中高一貫校の理事長から、文化祭への招待を受けた。生徒たちが知恵を絞った、さまざまな出展に交じり、「父母会」による絵や習字の作品展があった。「保護者会」を使う学校が一般的になっている中で、父母会の名称を使う学校が都内にまだあったことを少し意外に思い、その理由を理事長に聞くと、なるほどと思った。

 生徒の親はこの学校の卒業生が多く、愛校心が強い。長く父母会を使っていて、親たちもそれを当たり前と思い、「保護者会に変えよう」という声はどこからも出ていないというのだ。

 児童・生徒の保護者のことはかつて「父兄」と言った。しかし、この言葉には、家父長制的な家族観があるとの批判があって、学校では使われなくなり、「親」「父母」に変わった。

 それに伴い父兄会も父母会になったが、今度は離婚や一人親家庭の急増、そして祖父母に育てられる子供もいることから、父母会が保護者会に変わっている。ネットの「デジタル大辞泉」で「保護者会」の解説を見ると、「以前は『父兄会』『父母会』といった」とある。

 父母会はすでに過去のものという認識だが、こうした傾向を見ると、政治的に正しい言葉遣いをしようという、米国発祥の「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」の影響が日本にも及び、言葉狩りが広がっていることが分かる。

 新聞記事では、職業に対する差別観念を表すような表現は使うべきではないとして、例えば「百姓」は「農民」「農業従事者」にすることになっている。

 しかし、本人が意図してその表現を使い、しかも文脈の中でその理由が明らかであるなら、それでいいのである。農家生まれの筆者は「百姓の子」をあえて使う場合がある。世の大勢がどうであろうとも、「父母会」を使い続ける学校があったことに意を強くした。

(森)