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道徳の立て直しと教育


 内閣改造後の記者会見で柴山昌彦文科相の教育勅語発言に一部マスコミが噛(か)みついたが「教育勅語は全否定」という論調に共感できない人も多かろう。

 柴山氏は例の発言に先立ち、自身の「戦後教育や憲法の在り方がバランスを欠いていた」というツイートへの質問を受けている。憲法への言及は避けたが、教育については、戦前、義務や規律が過度に強調された反動で個人の自由や権利に重きを置いた教育が行われてきたと指摘し、「少なくとも教育においては権利や義務、規律をバランスよく教えていくことが求められている」と明快に答えた。

 文科相が就任に当たって、こんな当たり前のことを今さらながらに語らざるを得ないのは、日本に教えるべき道徳の基準がないためだ。

 「戦前戦中は、国家の立場ばかりを重んじて、個人を忘れていた。戦後は個人の立場ばかり重んじて、国家を忘れている」

 これは吉田茂首相の下で昭和25(1950)年から独立直後まで文部大臣を務めた天野貞祐氏の持論だ。天野氏は吉田氏の意を受けて教育勅語に代わる新憲法下での「国民全体に通じる道徳の基準」として「国民実践要領」を発表した。

 個人、家、社会、国家の4章41項目から成り、「真に自由な人は責任を重んずる人である。責任を伴わぬ自由はない」「社会生活が正しくまた楽しく営まれるためには、社会は規律を欠くことはできない」「国家は個人の人格や幸福を軽んずべきではなく、個人は国家を愛する心を失ってはならない」など示唆に富む内容が記されている。

 「国民に強制せず、参考として提示する」立場だったが、左翼勢力が伸長していたマスコミから「封建的」「個性を抹殺する」などと批判を浴びて白紙撤回に追い込まれた。日本の教育を設計し主導する文科省幹部まで道義のほころびが露呈する中で、道徳の立て直しは待ったなしだが…。(武)