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人生の宝積むスポーツに


 日大アメフット部の悪質タックル問題で、監督やコーチの指示に従った選手の潔い記者会見を見ながら、実に残念な思いがした。大学のスポーツがプロでなく、あくまでも教育の一環として行われるのならば、選手に潜在する能力を極限まで引き出してあげる監督やコーチであってほしいからだ。

 筆者は高校時代に一時期、剣道部に籍を置いたが、そこでは毎年、正月の練習初めに、近くの古い神社の100段を超える階段をうさぎ跳びで3回上ることが恒例になっていた。何とかやり切った時は、もう脚はぐらぐらで、学校の練習場まで歩いていくのもやっと。それでも、そこから通常の練習が始まる。大きな声を出して力を振り絞って動いていると不思議な感覚になった。脚が軽くて思うように動けるし、飛び込んで面を打つと面白いように決まる。心と体が一つになった境地、今流でいえば、「ゾーン」に入ったのだろう。

 残念ながら、その後二度とその感覚を取り戻すことができなかった。恐らく一流の選手は、通常の練習を通じて、そのような境地に自由に出入りできるようになっているのだろう。

 その一方で、緊張で体が全く動かなくなった体験もある。中学校の時、卓球の県大会団体で優勝候補とベスト4を懸けた試合を行った。その時だけ5番手で出たら2対2で出番が回ってきた。仲間の期待が分かるだけに、それがいっそう重圧となって腕や脚が全く動かない。結果は惨敗だった。

 このような貴重な経験を通じて、ここ一番の試合で重圧をはねのけ、ゾーンに入って戦う選手たちが、どれだけの厳しい練習を積んできたか類推できる。だから選手を尊敬するし、そんな選手を生み出すスポーツの素晴らしさも実感している。監督やコーチには、スポーツを通して、選手にとって人生の宝となるような経験を数多く積ませてあげられるよう、努力してもらいたいものだ。(武)