セクハラになる性教育!?


 セクハラ被害者を支援する「#MeToo」(私も)運動が世界で広がっていることで、日本でもセクハラに対する関心が高まっている。新しい言葉が生まれることで、それまで隠されていた問題が表に出るようになり、社会の認識が改まるということはある。セクハラで難しいのはその定義が明確でないことだが、社会の目が厳しくなっていることは確かだ。

 法務省の委託で「人権教育啓発推進センター」が制作(2010年)した、企業における人権研修シリーズ「セクシュアル・ハラスメント」には「相手に不快な思いをさせるだけでもセクハラ行為になる場合もあります」とある。この問題は、被害を訴える側の気持ちを中心に判断することが大切だということだろう。

 先日、東京都教育委員会の定例会で、足立区内の中学校で行われた性教育が取り上げられた際、委員の一人から「嫌な気持ちになった子もいたのではないか」との懸念が出た。

 授業では、教師が何人かの生徒に対して、「高校生になったら性交してもいいと思うか」「妊娠したらどうするか」と質問し、他の生徒の前で答えさせていた。思春期は感受性が豊かになる。人前で、性交について話すことは、恥ずかしいし、不快になったとしても不思議ではない。

 教師は中絶や避妊についても詳しく説明していた。もし、「聞きたくない」と感じた生徒がいたとしたら、これは教師によるセクハラにならないのか。たとえそうでなかったとしても、性という繊細な問題を扱う場合、生徒がどう感じるかを中心に据えて、授業を行うべきであろう。

 足立区の中学校で「不快」と訴える生徒が出なかったとしても、同じような性教育が広がれば、傷つく子供が出ることは十分考えられる。この年頃の成長段階は子供によって違うことも考慮すべきである。(森)