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生涯記憶に残る道徳授業


 いよいよ今年の4月から小学校で「特別の教科」としての道徳の教育が始まる。中学校では来年4月からという。と言われても、何十年も昔に小中学生だった筆者の時代にも、学校で道徳の時間があったし、教科書のようなものが配られて、それを勉強した記憶がある。

 「あれは何だったのか」と思って調べてみると、敗戦の年の暮れにGHQ(連合国軍総司令部)によって戦前の道徳教科であった「修身」の授業停止と教科書回収を命じられて後、独立した教科や時間で道徳教育は行われず、社会科や学校教育全体によって道徳教育を行う方針が取られていたが、昭和33(1958)年からその要として「道徳の時間」が新設され、現在まで続いてきた。

 しかし、読み物を読んで感想を述べるだけに終わるなど、その形骸化が進んで深刻な「いじめ」問題などに対応できないので、自ら「考え、議論する道徳」への質的転換を図るために「特別の教科道徳」が新設されたのだという。

 確かに、筆者が受けた道徳の授業は学校の行事や作業などでつぶれることが多く、その授業内容はあまり記憶に残っていない。唯一残っているのは、いわゆる同和教育に関する授業だけだ。その授業は近隣の教師が多数参観していたので、恐らく教師の研修と関連したものだったのだろう。教師の熱の入れようが普段とは違っていて、事前に部落差別のルーツをいろいろ調べ(させられ?)た上に、大勢の教師が見守る前で発表までし(させられ?)たので、部落差別がいかに不当な背景をもって行われてきたかということが今でも強く印象に残っている。

 道徳の教科化がいじめ対策にどれだけ効果があるかは今後、注目していかなければならないが、教科化されていない「道徳の時間」であっても教師の力の入れ方次第では生涯記憶に残る授業も可能だ。先生方の奮起を期待したい。(武)