道徳教育、子供の本気引き出す授業を


 「道徳の授業って、何なの?」という“そもそも論”を始めると、きりがない。

 答えは簡単ではない。教科書を読んで感想を述べ合ったり、いじめ問題などを“寸劇風”にこしらえ、登場人物の気持ちを探ったり、ということが教育の現場で行われている。それだけで子供たちが自分の意見を持ち、授業を受ける時にワクワクした気持ちになるだろうか。

 4月から小学校で実施

 また、教師の思っている方向に引っ張っていく授業では子供たちは満足を得られない。学習指導要領の柱として掲げる「主体的・対話的で深い学び」には到底至ることができない。

 4月から小学校で、2019年度から中学校で「特別の教科 道徳」授業が行われ、教科書が授業で使われる。14年に下村博文文部科学相(当時)の肝いりで作成された教材「私たちの道徳」が全国の小中学校に配布されたものの、倉庫で眠らされたり、授業で使っても家庭に持ち帰らせないで回収したりするなどの事例が頻発した。

 戦前の修身の授業に立ち返れというのではないが、教科書を使わないで、神奈川県川崎市などで活発な「子どもの権利条約」「ジェンダーフリー」「過激な性教育」を柱とした独自の副読本を使う“価値観の押し付け的”授業が許されるものではない。

 東京学芸大学の永田繁雄教授は「教科書に沿って授業を進めながら、地域の歴史や伝統、風習などを含め、教師が手掛けた教材づくりも大変重要だ。児童たちが『先生、次の話はどうなるの!?』と興味を持ち、頭の中が活性化され、さまざまな意見がクラスで飛び交うことが必要」と語る。

 教師の語る結論に従った意見を語れば評価が上がるといった授業では、子供たちはすぐに教師の意図を“見破って”飽きてしまう。こうした問題を防ぐために、テストやランク分けをせず、文書に「個々人の成長の跡」を記して評価することになった。だが、どのように書けばよいのか教師たちは頭を悩ませている。「道徳教育って何?」という“そもそも論”に立ち帰らなければできない仕事だからだ。

 人生の岐路に立ち、知識や感覚を総動員して進むべき道を決めていく時に“役立つもの”でなければならない。

 道徳の授業づくり、文章による評価に取り組むには相当な時間が必要で教師の力量が問われる。教師は“半強制的”に部活の顧問をさせられ、担任クラスの諸問題への対応が過大に圧し掛かる。教師の創意工夫を生かすためにも、過労死レベルと言われる就労状況を改善すべきだ。

 教師が専念できる組織

 そのためには、校長を先頭に教職員が学校運営の方向性を定めることが求められる。部活の指導などは地域の部活経験者や外部指導員に任せ、学級運営で問題が生じた場合に全ての責任を担任教師が負うような体制を変える必要がある。

 給食費の不払い家庭への徴収は事務員や自治体職員、不登校への対応はスクールソーシャルワーカーが担当するなど“チーム学校”“地域の力”を活用して教師が授業に専念できるような組織づくりを進めてほしい。