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死を等閑視してきたツケ?


 先日、本紙12月17日付『ビューポイント』を読んで驚いた。日本人の平均寿命が50歳を超えたのは、なんと第2次大戦直後の1947年になってからで、江戸時代の中期から後期にかけては30歳代、明治になって40歳代になったが昭和の敗戦までは50歳を超えなかったというのだ。

 昨年の平均寿命は男性80・98歳、女性87・14歳で、いずれも過去最高を更新し、男女とも香港に次いで世界2位だが、このような長寿化は戦後急激に進んだということだ。これには食事(栄養補給)や生活環境、特に医療技術の進歩などが大きな役割を果たしたのだろう。

 その影響を直接受けた筆者の両親(昭和初期生まれ)の世代は、事故や致命的な持病などがなければ、一つ上(祖父母)の世代ではほとんど考えられなかった高齢者(80代後半~90代初)となっている。

 そのおかげで筆者は80年代前半に祖父母と父を亡くして以来、ほぼ20年間、近い親族の死に直面することがなく、ちょうど働き盛りでもあり、死は日常から消え去っていた。しかし10年ほど前から親の代の親族が相次いで世を去り始めた。

 仏教は生老病死はいずれも私たちの思いのままにならない「苦」だというが、戦後の医学の発展は老や病をある程度コントロールし、死の時期を遅らせることに成功したわけだ。とはいえ、人が自分の性別や両親を決めて生まれることができない結果的な存在でしかなく、誰もが死を免れ得ないという厳然たる事実は一切変わっていない。

 事実、寿命が延びた分だけ、医療は老と病を同時に対処しなければならなくなっており、日常生活でも老々介護や尊厳死、安楽死など、生や死の根本的な意味を抜きにしては対処できない問題に直面している。死を等閑視できる幸運な環境に慣れ切ったツケが一気に回ってきたような気がするのは筆者だけだろうか。(武)