能力に勝る経験の差


 この世の中には、本当に天才的な頭脳を持つ人がいる。筆者が知るその人は大学の同学年で、一時期、同じ寮で生活した。彼はなんと、新約聖書のマタイ伝の冒頭に出てくるイエス・キリストの系図を、夜にじっと眺めているだけで、翌日の昼にはノートに一言一句間違いなくアダムから順に書き記すことができた。彼の勉強は毎日、その日の授業のノート数冊を30分くらいじっと見直すだけ。それですっきり頭に入るのだから、あっと驚くしかない。

 もちろんそんな勉強法を大学まで続けられる人はめったにいない。普通の人は小学校や中学校のある時点で、授業をノートを取りながら真剣に聞いてもだんだん理解できないところが出てきて、それを放置すると授業に付いていけなくなる。筆者も然(しか)りで、数学では、中学校の2年生になると「どうしてあんな補助線を引くのか」「どうしてあんな式のまとめ方をするのか」と疑問ばかり浮かんで、取り組み方が分からなくなった。

 あらゆる類型の問題を解けばいいのだろうが、部活もあってそんな時間はない。そんな時に出会った数学の先生曰(いわ)く「教科書に出てくる定義や重要事項をそれが導かれる過程を考えながら3回書く。実際の問題で、その定義や重要事項を忘れて解けなかったら、また3回書く。それを続ける」。他に打つ手がなかったので、それをやり続けたら、高校までの数学で苦労することはなくなった。基礎的な考え方と定義を頭にはめ込むことによって、それをつなげるインスピレーションも生まれるようになったためだ。

 生まれつきの能力差は否定できないが、誰でも自分に合った努力の仕方がある。学生の頃はとても大きく感じる能力差も、社会の中ではそれほど大きくはならない。何十年にもわたって積み重ねた経験の厚みは能力差をカバーして余りあるからだ。もちろん天才が努力すれば勝ち目はないわけだが。(武)