何のための「常在戦場」か


 昨年来、「常在戦場」という言葉をよく聞く。早期衆院解散・総選挙説が囁かれる中で、「政治家たる者、常に選挙に向け物心両面の準備を怠ってはならぬ」と自戒する声だ。安倍晋三総裁など自民党幹部だけでなく、民進党の蓮舫代表も昨年9月末の会見で、1月解散説と関連して「常在戦場、いつでも戦える態勢を整える」と語っている。

 「常在戦場」は越後長岡藩(新潟県長岡市)の藩主、牧野氏の家訓「参州牛久保之壁書」の冒頭にある言葉で、長岡藩の藩訓・藩風であり、長岡出身の山本五十六連合艦隊司令長官が座右の銘としたことでも有名だ。牧野一門の、そして牧野氏が治める長岡藩士の精神の拠り所であり、指導者(武士)たるものかくあるべしという理想、そのための教育理念でもあった。

 江戸時代の太平が続く中で武家も子弟教育の専門機関(藩校)を持つようになったが、それまでは、武士の基本となる弓馬、剣、長刀、槍などの訓練、それらを総合した実践的修練(追鳥狩、巻狩など)、さらに実際の戦場での戦闘に至るまで、親が生活の中で子弟を訓練していた。

 平時にあっても武人は常に生活訓練の主体として、身をもって範を垂れ、子弟や一族郎党の訓練にあたった。訓練次第で一族郎党が繁栄することもあれば、逆に滅亡に至る恐れもあるのだから、文字通り命懸けだ。それで家訓や壁書を通して実践的な教訓を残したわけだ。

 政治家も秘書や後援会など一族郎党を束ねる一国一城の主として、その興亡のかかった戦闘(選挙)に向け「常在戦場」を叫ぶのは当然だ。だが、少なくとも国会議員なら、自分の政治生命と同じくらいは、日本の国家と国民の興亡に責任があることを自覚すべきだ。中国の軍事的膨張や北朝鮮の核ミサイル開発という脅威に直面する中で、日本の国家と国民をどう守り繁栄させていくか。そのために「常在戦場」を実践する政治家はどのくらいいるだろうか。(武)