読書による“未知との遭遇”


 まだ秋たけなわだった今月初め、久しぶりに神保町の古書店街を歩いて、かねて欲しかった本や思いがけず目についた本を仕入れてきた。ちょうど今年で57回を迎える神田古本まつりの期間中で、靖国通り沿いの歩道に作られた「本の回廊」は老若男女の人波で埋まっていた。
 この時に買った後者の本、つまり、予め著者や本の存在すら知らなかったのに、どういうわけか書名や本の体裁、立ち読みした箇所に興味を覚えて衝動買いしたのが『政党興亡五十年―わが歩みし足跡―』(国会通信社)だった。著者の肥田琢司氏は大正時代から終戦後まで政財界で陰に陽に活躍した大変な人物だが、恥ずかしながら、それも同書の購入後に知った。

 肥田氏が師と仰ぐ原敬をはじめ、山本権兵衛、山県有朋、西園寺公望、大隈重信、寺内正毅、加藤友三郎、田中義一など、歴史的人物と同世代に生きて直に交流があった肥田氏が語る敗戦までの政党興亡の歴史は臨場感があり、教科書や歴史書の剥製のような記述に血が通い、生きて動き出すような感覚を受ける。

 昭和30(1955)年に書かれた本だが、優諚、酸鼻の極み、蟷螂の斧など最近はあまり見かけない表現に出合うことが多く、世代の違いを感じさせられる。特に衝撃的だったのが「操觚界」という言葉だ。「そうこかい」という読みすら分からないので「操」の字を手掛かりに調べてみると、「觚」は古代中国で文字を書いていた四角い木札のことらしく、それを操る業界だから、新聞・雑誌の記者・編集者、評論家・著述家など、文筆に従事する人々の業界になるらしい。こんなことも知らずに何十年も操觚業に携わってきたのだから、本当に恥ずかしい限りだ。

 超高齢社会の中で生涯学習の必要性が叫ばれるが、読書を通じた“未知との遭遇”はやはり、欠くことのできない手段であるようだ。(武)