「初花の東京と聞く陽気かな」(稲畑汀子)…


 「初花の東京と聞く陽気かな」(稲畑汀子)。東京地方では、千代田区の靖国神社にある桜の標本木が開花した。桜はあっという間に咲き、あっという間に散る印象がある。開花時期が短いため、花見には「一期一会」の感がある。

 このあたりの機微は、平安時代の歌人で六歌仙の一人として有名な在原業平(ありわらのなりひら)の和歌「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」がよく表現している。最初、学校の教科書で読んだ時は、理屈っぽく感じられ、名歌とは思えなかった。

 教師から次のような解釈を聞いた。「慌ただしく咲いて散る桜の花がなかったら春はきっとのどかだろう」というのは表面的な意味で、それほど人の心を動かす桜の花は素晴らしいと逆説的に賛美した歌だ、と。なるほどと思ったことを覚えている。

 桜の花の俳句には、咲き始めよりも散り際の姿を詠んだものが多いような気がする。そこに、人間の生死の姿を重ねてしみじみとしたものを感じるからだろうか。

 桜の花を見ると風情があって心が騒ぐ。特に、月の光や街灯で怪しく光る夜桜は、別の生き物のような感じを受ける。

 そのあたりの不可思議さを見事に言い表しているのが、作家の梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」という言葉である(短編「桜の樹の下には」の冒頭の文)。その梶井は昭和7(1932)年のきょう、亡くなっている。忌日は代表作「檸檬(れもん)」から「檸檬忌」と呼ばれている。