「打たれ弱い」人間がいる。本人の個性の…


 「打たれ弱い」人間がいる。本人の個性の問題ではあるが、世代的な面もあるようだ。私見では、1970年以降に生まれた世代、おおむね50歳以下の人々にその傾向が強い。彼らはあまり議論をしない。「議論しないからできない」のか「できないからしない」のかは不明だ。

 何かを表現する場合でも「自由に発言したい」とまず考える。他人の手が入ることを嫌う。「自分の表現したまま」を「自由な発言」と考える。他人との対話の結果がそうだとは考えない。「自己中心主義」そのものだ。

 インターネット上の文章がその典型で、編集というプロセスがそもそもない。編集とは他人の視点によって自分を相対化することだから御免だとなる。一方的に発信するだけだから、単調にもなりやすい。「読み手がどう受け止めるのか」に関心を持つことは少ない。

 同世代の読者も同じような傾向だから、反応も「○×式」になりやすい。結果、過剰な賛辞か、ひどく攻撃的な反応に向かう。

 こうした空気を互いに肌身で感じ取っているから、打たれ弱いのも当然だ。このようなコミュニケーションの在り方がここ数十年続いている。それが再生産されることはあっても、違う方向に変化することはしばらくなさそうだ。

 旧世代はどんどん死んでいくのだから「打たれ弱い世代」の性質だけが今後しばらく蓄積されることになろう。そのうちに何かが変わっていくこともあるだろうと予想するしかない。