福島県会津若松市にある鶴ヶ城は、戊辰戦争…


 福島県会津若松市にある鶴ヶ城は、戊辰戦争の際に砲弾が撃ち込まれて蜂の巣のようになったが、落城することはなかった。明治7(1874)年、一切の建物が取り払われた。

 城の西側には藩校の日新館があったがこれも焼失。たった一つ天文台跡だけが残った。鶴ヶ城は昭和40(1965)年、本丸跡に5層の天守閣が復元され、同62年、日新館の全容も郊外の高塚山に復元された。

 復元した日新館で行われたのは儒学の祖、孔子を祀(まつ)る釋奠(せきてん)だった。記録をもとに古式ゆかしく再現された。今も年2回実施されている。釋奠を行っているのは足利学校や湯島聖堂など国内では5カ所だけ。

 教育は文武両道にわたったが、天文学もあった。江戸幕府が日本の風土に基づいて画一的な暦を通用させたのは貞享2(1685)年で、暦を出版する権利を持つのは、以前から独自に暦をつくっていた由緒ある地域に限られた。

 「会津暦」は永享年間(1429~41)に始まったと言われ、現存する最古のものは寛永11(1634)年の暦。城の鎮守である諏訪神社の神官がつくっていた。日新館では毎年冬至に会津暦をつくり、東日本に配布していたという。

 日本天文学会はこのほど「日本天文遺産」として日新館天文台跡を認定した。江戸時代、天文台は他にもあったが、構造物が現存するのはここだけ。わが国独自の発展を示す貴重な史跡とされた。台形の小さな山にすぎず、登って遊んだ人も多いだろう。