意外と知られていないが、戦前の日本は製作…


 意外と知られていないが、戦前の日本は製作本数では米国を上回る映画大国だった。戦後それを知る連合国軍総司令部(GHQ)は占領政策遂行のため、民主化、非軍国化の啓蒙(けいもう)映画を作らせた。戦意高揚映画を作っていた映画会社は、一転して民主主義をたたえる映画作りに精を出す。

 昭和17年「ハワイ・マレー沖海戦」で空前のヒットを飛ばした東宝の山本嘉次郎監督など、終戦間際に作り未発表だった戦意高揚映画を部分的に撮り直して英米崇拝映画に作り変えた。

 これを女優の原節子は「八月十五日を境にして、こうも器用に変えられるとするならば、そんな程度のものなら、『映画ッてなんだろう』と考えました」と批判している。

 以上は、石井妙子氏の労作『原節子の真実』(新潮文庫)で知った。名指しではないが批判された山本は、日本映画の名匠の一人。「活動屋」を自称する職人ではあったが、芸術家ではなかった。それに比べると、原の方が自分の内面を大事にしていた。

 同書によると、山本は東宝の労働組合発足時、初代委員長となるが、カメラマンの宮島義男に「戦前盛んに戦意高揚映画を作っていた」と批判される。しかし、宮島も同僚から「お前も同罪だ」と言われる。他人を批判できる者はいなかった。

 原は、今井正監督「青い山脈」など、戦後民主主義を代表する映画に主演する。ただ、時流に乗るのではなく、女性の新しい生き方など、その内容に納得しての主演だった。