「皸(あかぎれ)の手入れがすめば寝るばかり」…


 「皸(あかぎれ)の手入れがすめば寝るばかり」(児玉葭生)。早朝、水で手を洗っているとピリッとした痛みが走った。見ると手のひらに赤い線がある。そこから血が少し出ているようだ。あかぎれだった。

 東北の地方都市に住んでいた時は、冬はあかぎれや霜焼けに悩まされた。手の皮膚が裂け、そこから内部が見えたこともある。軟膏(なんこう)を塗っても、なかなか治らなかった。

 東京に住んでからはこういう悩みはほとんどなかったので、ひどく驚いたのと同時に懐かしい感じがした。

 俳句にも「皸」や「霜焼」などの季語がある。自分が発症しないのであまり関心を持つことがなかった。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』では「皸」についての説明がかなり長い。

 それだけ身近で切実な痛みだったのかもしれない。一部を引用すると「冬の寒さのため、また水仕事、荒仕事のあとなど、皮膚の皺に沿って細かい裂け目が入り、血がにじんだり熱をもったりするのを胼(ひび)といい、それが爪のわきや踵などもっと深く割れて赤く口を開けたのを皸という」とある。

 現代は医学が発達して多くの病気が治癒可能になった。しかし、あかぎれや霜焼けなどは今後もわれわれを悩ませそうだ。それとも人工知能(AI)が発達して家事から解放されることで、過去の季語として消えていくのか。いずれにしても、日本語のはやり廃りは俳句の歳時記を見るとよく分かる。言葉も時代とともに変化する部分があるということだろう。