世界日報 Web版

維新後間もない明治6~7年ごろ、内務省を…


 維新後間もない明治6~7年ごろ、内務省を訪ねた人は、内務卿の大久保利通がいるかいないかすぐに分かったと言われる。大久保がいる時は省内は静まり返っているが、不在の時はどこかなごやかな雰囲気が漂っていたからだ。

 トップがいるかいないかで様子が違ってくるのは、大久保の「威」が省内だけでなく、明治政権全体に浸透していたことを物語る。内閣制度がなかった当時、内務卿は事実上の首相だった。

 似たような話は150年後の今でもある。フジテレビ系の朝のワイドショー「とくダネ!」を見ると、メイン司会者の小倉智昭氏が病気で不在の中、若い司会者グループがのびのびとしている。「大久保不在の内務省」のようなものだ。

 どんな組織や集団であれ、トップがいるとうっとうしい。イヤなトップと親しみやすいトップの違いはあるだろうが、そのこと以上にトップのプレゼンス(存在感)そのものが煩わしい。

 こうした気持ちになるのは、役割・構造・制度の問題が主要な原因で、トップの個性の問題はさほど大きなものではなさそうだ。小倉氏が他の出演者に対して特に高圧的だったという話は聞かない。

 このような中、若手司会者たちの伸びやかで自由な様子がテレビ画面を通してハッキリと伝わってくるのは、トップという存在が「重石」の役割を果たしていたからだろう。小倉氏は、不在であることによって存在感を示しているようにも見える。