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「道の片側のゆるやかな斜面が見渡す限りの…


 「道の片側のゆるやかな斜面が見渡す限りの菊畑で、その中腹にある藁葺屋根の女の家は、まるで黄色い海に揉まれて傾いている屋形船のように見えた」。青森県出身の作家、三浦哲郎が「お菊」という小説で描いたキク畑の情景だ。

 青森県は食用ギクの名産地で、黄色い花の「阿房宮」は10月下旬から11月初旬が収穫期。この場面はタクシーの運転手が都市の病院から女性の患者を乗せて彼女の実家へ送っていく時に見た風景だ。

 運転手はキクを話題にして、湯がいて、酢の物にしてもいいし、クルミで和えるのもいい、と語り、天ぷら、味噌(みそ)漬けなどの料理を挙げる。実家に着くと、女は料金を取りに家に入ったが戻ってこない。

 運転手が家に行ってみると、父親が出てきて娘は病院にいると言い、ついさっき死んだという。運転手は嘘(うそ)をつくなと抗議したが、照合してみると事実と分かり、父親は病院へ行く車がなくて困っていたところだと打ち明ける。

 「この運転手さんがな、リエを連れてきてくれたんだと。リエは菊畑を見にきたんだえなあ」と父親は母親に言う。不思議な話だが、必ずしもフィクションとは言い切れないものがある。

 宗教学者の正木晃さんの『しししのはなし』によると、2011年の東日本大震災の被災地では、亡くなった子供の霊が自宅に戻ってきたなど、たくさんの事例があった。「お菊」はそのような東北の風土を表現していて、土地の霊によって書かれた作品だと言える。