文書の管理は、個人であれ組織であれしんどい…


 文書の管理は、個人であれ組織であれしんどいものだ。まして当時、日本最大の組織体だった江戸幕府ともなれば、しんどさもケタ違いになる。1790年に公文書の保管場所がなくなった。担当の役人たちは、重複したもの、不用になったものを廃棄することにした。そこまではまっとうな話だ。

 「焼く・埋めるは紙がもったいない」との意見が出た。紙は貴重だったので、漉(す)き直して再利用することを考えた。が、作業を民間に任すと幕府の最高機密が漏れる恐れがある。

 無宿人などを収容する寄場の収容者を使う手もあるが、彼らもいずれシャバへ出てくる。外部に頼まないで役人が墨を塗る、今のシュレッダーみたいに細かくちぎるなどのアイデアも出たが、細かくしてしまうと紙の再生が難しくなってこれもうまくいかなかった。

 この話は、寛政の改革を進めた松平定信の側近がまとめた書物の中に書かれているそうで『日本史の論点』(中公新書/この部分は大石学氏が執筆)に引用されている。

 で、肝心の紙の再生作業はどんな結論になったのかは、この本には書かれていない。何とかやりくりしたのだろうか。

 公文書担当の役人は、この職務を「陰の仕事」と自嘲していたという。褒められることがなく、上司に出会う機会も少ない。おのずと昇進もままならない。紙の束もさることながら、人もしんどい。だが、誰かがやらなければならない重要な仕事であるのは間違いない。