「家は皆杖に白髪の墓参り」(芭蕉)。お盆を…


 「家は皆杖に白髪の墓参り」(芭蕉)。お盆を迎え、墓参りのために帰郷するシーズンになる。

 かつて、詩人で作家の室生犀星は、故郷への複雑な思いを「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」「帰るところにあるまじや」と詠んだ。

 故郷へは、めったに帰るものではない。遠くから過去の思い出を美しく追憶するだけでいい。だがこの詩からは、むしろ故郷を誰よりも恋い慕った犀星の情念が浮かんでくる。

 故郷に住んでいた時代は、まだ両親の保護の下で生活的にも社会的にも自立していない時。そこには愛憎に満ちた生活の記憶が渦巻いている。故郷を懐かしむのは、父母との思い出とともに、いいことも悪いことも時間が洗い流してくれたからである。

 父母が亡くなって故郷には墓しかないという人もいるだろう。そうであっても、墓参りを通じて、そこに代々生きてきた先祖を偲(しの)ぶことは大事である。自分が現在ここに生きているということは、多くの先祖がいたことに拠(よ)っているからだ。

 『子孫が語る歴史を動かした偉人たち』(善田紫紺著、洋泉社歴史新書)では、先祖に当たる偉人の生きざまが子孫の生き方に大きな影響を与えていることが明らかにされている。米沢藩主・上杉家17代の子孫、上杉邦憲氏は、名君鷹山公のことを挙げながら、人生、どんなことでも欲得で動いてはならないと学んだという。先祖たちが眠る故郷は決して忘れてはならない所である。