世界日報 Web版

オウム真理教の元代表松本智津夫(麻原彰晃)…


 オウム真理教の元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら元幹部死刑囚の刑執行が先月、2度にわたって行われた。執行を命じた上川陽子法相は「慎重な検討を重ねた上で(命令を)出した」と強調したが、反応の中には「事件の真相が解明されていないのに、死刑執行は早過ぎる」との声があった。

 この事件に限らず「真相の解明」という言葉は普通に使われている。だが、そんなものがこの世の中にあるのだろうか。「執行が早かった」とは「もっと時間をかけて死刑囚本人から話を聞けば、真相は解明される」という意味だろう。

 時間をかけることで真相の全てが明らかになるという考え方だ。この発想には一面の真理はある。すぐに刑を執行するよりは、裁判も含めて時間をかけた方が真相に迫れることは確かだろうからだ。

 しかし、当事者本人が語ったことが全て真相だとは限らない。本人よりも他人の方が真相に近い場合もあることは、患者と医師との関係を見れば分かる。患者の個性をよく知らない医師が対処した方が患者にとってありがたい結果になる事例は多い。

 「真相の解明」「全容の解明」というのはスローガンのようなもので、現実には存在しない。神ならぬ人間が、たとえ小さな事件であっても全容を解明することなぞできない。明らかになるのは「より真相に近いもの」だけだ。

 それを「解明が不十分」と批判したところで「ないものねだり」に終わるしかないだろう。