「雨雲に山々うごく田植かな」(大橋櫻坡子)…


 「雨雲に山々うごく田植かな」(大橋櫻坡子)。地方都市に住んでいた時には、郊外に行けば水を張った水田に稲の苗が整然と並んでいるのをよく見掛けた。だが、田植えの光景を見たことはほとんどない。

 東京に住み始めてからは、ますますそんな機会はなくなった。水田がほとんどないし、あってもわずかな土地に少しだけという状態。

 今でも、地方へ出掛けると田畑を見て癒やされると同時に子供の頃を思い出す。水田にはコガネムシやバッタ、トンボ、チョウ、小川には魚やカエルなど、さまざまな生き物が生息していた。

 田植えは、昔は村総出で田植え歌などとともに華やかに行われた。が、過疎化した地方の状況がそれを許さなくなった。ただ、その風俗儀礼は俳句の季語として残っている。

 稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には、季語「田植」について「代を掻き水を張った田に早苗を植えつけることである。以前は梅雨の季節に行われていたが、最近では五月ごろ植付機で田植をする地方が多くなった」とある。日本の祭りの大部分は稲作行事と関わりがある。田植えは秋の豊穣と繁栄を願う祭事でもある。

 「風流のはじめや奥の田植うた」(芭蕉)。早乙女たちが苗を植え付ける光景はのどかで美しいが、当事者にとっては重労働でもあった。だからこそ田植え歌や民謡が生まれた。田植えを「風流のはじめ」と詠んだ芭蕉は、そこに伝統的な日本の文化の粋を見いだしたのである。