横山大観は岡倉天心の薫陶を受け、近代日本画…


 横山大観は岡倉天心の薫陶を受け、近代日本画の道を切り開いていった巨匠という名にふさわしい画家である。没後60年にもなるのに回顧展が開かれれば、驚異的な数の観客を集める。

 東京・上野池之端には大観の旧宅があって記念館として公開されている。数寄屋造りの日本家屋が建てられ、自宅兼画室として使用されたのは1919年から。戦災で焼失したが54年再建され、亡くなるまで過ごした。

 その晩年、日刊紙の美術記者だった日野耕之祐が訪ねて行った。彼は日展の洋画家でもあったが、大観は同僚画家として受け入れ、歓待してくれたという。日野から生前に聞いた話だ。

 大観の作風、筆法は変遷し、評価も毀誉褒貶(きよほうへん)さまざまだったが、日本の心を表現しようとした姿勢は一貫していた。日野も日本の風土に根差した新しい絵を制作しようとしていたので、師と慕っていたらしい。

 天心は『東洋の理想』で論じたように、日本はアジア文明の博物館であり、日本の芸術史はアジアの理想の歴史を伝えるものと考えていた。大観に教示したのも、歴史に裏付けされた理想の美をつくらなければならないというもの。

 現代美術には欠落してしまった思想だ。今年は生誕150年に当たり、4月13日から東京国立近代美術館で「横山大観展」が始まる。長い絵巻「生々流転」や100年ぶりの発見となる「白衣観音」などが展示される。現代美術の行方を考える上でも貴重な回顧展となる。