新発見によって歴史の記述が更新されること…


 新発見によって歴史の記述が更新されることがある。考古学上の発見は、事件でいえば物的証拠が見つかったこと。文献史料も同様だ。佐藤信編『古代史講義』(ちくま新書・近刊)は、15のテーマについて、それぞれの専門家が執筆したもの。

 注目したのは「聖徳太子(善)対蘇我氏(悪)」という図式の再検討だ。天武天皇(686年崩御)以来、古代国家建設の起点とされたのが太子だった。半面蘇我氏は、太子を妨害する役割を割り振られた。

 「太子(最近の呼称は厩戸皇子)は平和主義者」というイメージが伝わっているが、15歳の太子は、血縁上関係の深かった蘇我氏と共に戦いに従軍し、物部氏を滅ぼした。

 一方、蘇我氏が「逆臣」とされたのは、592年に崇峻天皇を暗殺したことが最大の理由だ。臣下による天皇暗殺は、歴史上この1件のみと言われる。

 21世紀の今日、太子は最高額紙幣の肖像候補として温存すべきだとの声があるのに対し、蘇我氏の評価には厳しいものがある。ところが近年、『古代史講義』も含め蘇我氏を再評価する動きも出てきた。

 評価の不公正は、もともとは天武天皇と藤原不比等の発案による『日本書紀』(720年刊)の記述からきている。それから1300年後の今、やっと見直しが始まった。太子の功績は評価されるべきだし、蘇我馬子による天皇暗殺は肯定すべきでもないが、両者の歴史的評価が『日本書紀』そのままでよいとは到底思えない。