甲子園というと少し気が早いようだが、野球…


 甲子園というと少し気が早いようだが、野球ではなく俳句の甲子園。今年も8月、愛媛県松山市で全国大会が開かれる全国高等学校俳句選手権大会の開催要綱が発表された。

 高校生のクラブ活動はスポーツ以外でも盛んだが、文化系の部活に甲子園をかぶせたのが当たった。かるた甲子園、まんが甲子園、写真甲子園など、今でこそ○○甲子園の名前で呼ばれる全国大会が無数にあるが、その魁(さきがけ)となった。

 オリンピックを生んだ古代ギリシャ人は、スポーツ競技だけでなく、詩も愛した。4年に1度、詩の歌唱力を競う「汎アテナ祭」というのも開かれた。竪琴(たてごと)の伴奏でホメロスの叙事詩を朗誦し、女神アテナに捧(ささ)げるこの大会、まさに俳句甲子園の元祖と言っていいだろう。

 このイベントを企画したのが、ペイシストラトスという政治家。「今で言えばイヴェントの祖」と作家の塩野七生さんが『ギリシア人の物語Ⅰ』で評している。地方的な存在にすぎなかった酒の神様、デュオニソスを主神に仲間入りさせたのもこの人らしい。

 ペイシストラトスは、歴史の教科書などでは専制的な統治を行った「僭主(せんしゅ)」とされている。しかし、塩野さんの本を読むと、アテネの発展のために大きな足跡を残したことが分かる。新しいデザインの壺(つぼ)を作らせ、産業を育成するなど、開発独裁のようなことも行っている。

 アテネが民主政へと進む過渡期に現れたが、その時代の要請に十分に応えた政治家だった。