作家の鈴木三重吉が児童雑誌「赤い鳥」を…


 作家の鈴木三重吉が児童雑誌「赤い鳥」を大正7(1918)年に創刊してから、今年で100年を迎える。政府の主導する教条的な説話や唱歌に対して、子供の純粋性を育むための物語や詩を作り、これを世に広めようとした。

 創刊号には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋らの文学者が賛同の意を表明。芥川の童話「蜘蛛の糸」「杜子春」も、有島の童話「一房の葡萄」も、北原の童謡「からたちの花」も、この月刊誌に掲載された。

 「赤い鳥」は文学だけでなく音楽にも大きな影響を与えた。西條八十の詩「かなりや」に成田為三が曲を付け、翌年5月号に楽譜と共に掲載されると、大きな反響を呼んで、音楽運動としての潮流を形成する。

 「赤い鳥」100年を記念して昨年秋、キングレコードからCD「昭和の童謡」が発売された。「ふたあつ」「かもめの水兵さん」「赤い帽子白い帽子」など、昭和の名盤を復刻して44曲が収録されている。

 音楽文化研究家の長田暁二さんは「一流の詩人、音楽家が参加して、芸術的な意欲に燃えて、子供の世界を、子供の言葉で、子供が楽しく歌える童謡を創作したという国は日本以外にない」という。

 軍国主義が強まって下火になるが、敗戦直後「みかんの花咲く丘」がNHKラジオで発表されると大ヒットし、昭和30年代には童謡の一大ブームが到来。子供童謡歌手が大きな人気を集めた。音楽が子供の情操教育に果たした役割は多大だ。