「肌さむし竹切山のうす紅葉」(凡兆)…


 「肌さむし竹切山のうす紅葉」(凡兆)。もうすぐ紅葉の見ごろを迎える。紅葉というと、鮮やかな赤や黄色などを思い浮かべる。だが、一夜でそうなるわけではない。色合いが薄い段階から徐々に濃くなっていく。そして、燃えるような色合いとなるのである。

 俳句には「薄紅葉」という季語がある。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には「紅葉し始めてなお薄いのをいう。やがて真紅に染まる色を予想させながら、薄く色づいた紅葉にはそれなりの風情がある」とある。

 「紅葉してそれも散行く桜かな」(蕪村)。紅葉の中でも、いち早く色づくのが桜である。『ホトトギス新歳時記』には「桜は早く紅葉し、他の木々の紅葉のころはすでに散っている。紅葉というほど赤くはならないが、いくらか赤らみ、また黄ばんだり、虫食いの跡があったりする。それなりに美しくまたどこかわびしい」と簡潔に表現されている。

 歳時記をひもとくと、日本人が紅葉をいかに待ち望み、楽しんできたかが豊富な季語でうかがえる。「初紅葉」「桜紅葉」「紅葉狩り」「黄葉」「照葉」「雑木紅葉」「柿紅葉」「漆紅葉」「銀杏紅葉」などがある。

 落葉樹が紅葉するのは、生態保護のシステムだという。樹木は生命を維持するために水分を循環させている。冬は水分が少ない状態になるので、気孔から蒸発しないように葉を切り離して自身の生命を守る。紅葉はその葉が落ちる寸前の姿なのである。それを知ってみると、ひとしお愛(いと)おしい。