「山は暮れて野は黄昏の芒(すすき)かな」…


 「山は暮れて野は黄昏の芒(すすき)かな」(蕪村)。かつてはどこでも見られたススキだが、今では街中ではほとんど生えていない。秋の空、特に夜の月明かりの中で見る光景は幻想的で、かつ物寂しい風情を感じさせる。

 ススキは、稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』に「野原の至るところに生える。その穂を尾花(をばな)ともいい、秋の七草の一つである」とある。同じ歳時記で「七草」は「萩、尾花、葛の花、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、朝顔の花」が古来のもので、現在は朝顔の代わりにキキョウが入っているという。

 ススキを見るのが少なくなったのに比べ、春を代表する草花の一つタンポポは、どこにでも咲いている。野原や公園だけではなく、道の片隅で生命力の強さを感じさせてくれる。

 それに対し、ススキはいかにもはかない感じがする。秋は気温も落ち着き、実り豊かな季節だが、半面、虫の声やススキのように冬の到来を間近に感じさせるものがある。

 芭蕉に「秋深し隣は何をする人ぞ」という句がある。この句は旅人の心理を反映している気がする。秋は旅にふさわしい季節でもある。旅には必ず終わりがあり、その気分が秋の物寂しい感じと通じるからである。

 旅を愛したのは芭蕉だけではない。西行もそうだし、近現代では歌人の若山牧水がいる。こうした文学者は1カ所に定着できない浮き草のような印象がある。その牧水は昭和3(1928)年のきょう亡くなった。忌日は「牧水忌」である。