ノンフィクションの世界にも、この分野特有の…


 ノンフィクションの世界にも、この分野特有の厳しさがある。5年前に行われた有名なノンフィクション賞の選考会で、そのことが改めて浮き彫りとなった。

 ある候補作の登場人物の男性がヒンディー語で話す。ヒンディー語はインドの公用語だ。おそらく通訳を使ったのだろうが、候補作には、誰がどういう言語でこの男性と話をしたのか、誰が通訳をしたかしなかったかも含めて何も書かれていない。

 ヒンディー語で話した男性の発言内容は、作品ではもちろん日本語で書かれている。作者がヒンディー語に堪能であればともかく、そうした様子もない。

 通訳の問題、日本語訳の問題など言語に関するいくつもの疑問が出てきたので、その賞の選考委員が公開討論を求めたところ、候補作の著者はこれを断ってきた。

 当然ながら、その候補作は落選となった。ヒンディー語を話す男性の発言が、実際のものかどうか分からないからだ。この発言が創作である可能性も否定できない。以上のエピソードは、武田徹著『日本ノンフィクション史』(中公新書)の冒頭に書かれている。

 小説であれば、ウソは何の問題もない。それどころか、話を面白くするためにはむしろ推奨される。ところがそれは、ノンフィクションにあっては許されない。事実についての厳密さがおろそかになれば、ノンフィクションというジャンル全体の信用度が落ちてしまうからだ。厳しいが、当然の話だ。