昨年亡くなった登山家・田部井淳子さんが…


 昨年亡くなった登山家・田部井淳子さんが福島県奥会津の山々に親しむようになったのは、エベレスト登頂後のことで、会津駒ケ岳に登ったのが1987年。地元の山好きたちに誘われたからだ。

 深い山々の連なりや池塘(ちとう)に感動し、同じ福島県出身なのに知らずにいたことが悔やまれたという。さらに感動したのは昭和村の民家で食べた打ち立てのそばで、マイタケがお椀(わん)からはみ出していた。

 それから30年後、ある雑誌のアンケートで「明日死ぬと判った時の夕食で食べたいものは」と問われ、田部井さんは迷わず「昭和村のそば」と書いたそうだ(「奥会津の山々への想い」)。

 ところで先月21日、東京の東武浅草駅と南会津町の会津田島駅を結ぶ東武鉄道の特急「リバティ会津」が運行を開始した。特急は1日4往復し、最短所要時間は3時間9分で、東京と南会津地方が直接結ばれることに。

 乗車率はまずまずの出だしだそうで、会津若松までの利便性も向上した。さらに会津地方の各市町村ではバスやタクシーなど2次交通マップを作成し、新たな観光ルートのPRにも力を入れ始めている。

 奥会津に住んでいる人々は山と暮らし、その恵みの中で生活を営んできた。どれほど人の営みが山と密接だったかを示しているのが山名数の市町村順位。『日本山名総覧』(白山書房)によると、全国1位只見町、18位金山町、65位檜枝岐村、74位昭和村と続く。山が生活の一部になっているのだ。