「装束をつけて端居や風光る」(高浜虚子)…


 「装束をつけて端居や風光る」(高浜虚子)。風が光るというのは物理的な現象ではない。そう見えるほど春の光が明るく感じられるということだろう。冬から解放された気持ちが込められた季語と言っていい。

 稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』にも「四方の景色もうららかな春は、吹きわたる風さえも光っているように感じられる。あくまでも感覚的な季題である」とある。桜も散り、大きなイベントが終わったような気分になっているが、春の花は桜だけではない。

 小社近くの公園では、チューリップが鮮やか。パンジーやシクラメンなども咲いている。そのほかの花もあるが、名前が分からないので、ただ観賞するだけである。名前を知っていれば、もっと深く感動したかもしれない。

 花の名前は、男性よりも女性の方がよく知っているだろう。きれいな花というだけでは寂しいので、それぞれの名前を覚えたい。

 公共施設や公園、川沿いなどの木にはプレートが掛かっていて花や木の名前を知ることができる。散歩した時には、名前を心に刻みながらじっくり観察することにしている。

 ところが、「~類」としか書かれていないこともある。例えば、桜には代表的なソメイヨシノのほか、八重桜、山桜など多数の種類があるにもかかわらず、「サクラ類」とだけ記されている。ソメイヨシノが散っても、その他の桜が咲き誇っているが、名前を知らないので花もいささか寂しそうに見えるのである。